日比谷から桜田門
2017年10月8日
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日比谷見附跡 |
日比谷シネマシャンテで、映画「オンザミルキーロード」と「スイス・アーミーマン」を観た。
2つの映画の間に時間があったので、日比谷公園から桜田門を歩いた。
見附というのは、おもに城の外郭に設けられた警備のための城門のことで、江戸城には外堀(外濠)および
内堀(内濠)に沿って、36の見附があったそうである。その中で、この日比谷御門だけが橋のない枡形門で、
大名小路への出入り口であったが、明治初期に撤去され、現在は石垣と塚跡が残っているとのこと。解説には、
高麗(こま)門、枡形、渡櫓、番所が石垣で囲まれていたと記されており、現在残る石垣はその一部だということである。
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心字池 |
「仙台藩祖伊達政宗 終焉の地」 |
「心字池」は、日比谷公園が出来る前は濠だった。その面影を残すために、公園造成時に池としたもので、
全体を上から見ると「心」の字をくずした形をしている。 このような池を心字池といい、
禅宗の影響を受けた鎌倉・室町時代の庭に見られる日本庭園の伝統的な手法のひとつ。
日比谷公園の北東側角(有楽門)から入ったところ、史跡「日比谷見附跡」の横にある。
「仙台藩祖伊達政宗 終焉の地」と記された説明サインには、政宗公が1601年に徳川家康から江戸城に近い
外桜田に江戸屋敷を与えられ、1661年まで伊達家の上屋敷として使用されていたことや、政宗公が家康、
秀忠、家光の三代の将軍をこの屋敷でもてなしたことなどが、日本語と英語で紹介されています
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旧日比谷公園事務所 |
松石 |
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桜田門 |
旧桜田門 外桜田門 解説版より
現在この門は桜田門と呼ばれますが、正式には外桜田門といい、本丸に近い内桜田門(桔梗門)に対して
この名が付けられました。古くこの辺りを桜田郷(さくらだごう)と呼んでいたことに由来します。
外側の高麗門(こうらいもん)と内側の渡櫓門(わたりやぐらもん)の二重構造からなり、
外桝形(そとますがた)という防御性の高い城門で、西の丸防備のため異例の大きさで造られました(三二〇坪)。
建築されたのは寛永年間(一六二四〜四四)とされ、現存する門は寛文三年(一六六三)に再建された
門がもとになっています。大正十二年(一九二三)の関東大震災で破損し、復元されました。
万延元年(一八六〇)三月三日、この門外で大老井伊直弼が水戸藩脱藩士に暗殺されました(桜田門外の変)。
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高麗門の内側 |
桜田門 櫓門碑 |
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城内から見た渡櫓門 |
皇居前広場からビル群の眺め |
渡櫓門の櫓は1923年(大正12年)の関東大震災で一部が破損したのち、鋼鉄土蔵造りに改修された。
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特別史跡 江戸城跡 |
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水飲み |
自由の鐘 |
昭和27(1952)年4月、アメリカ合衆国の連合軍総司令官リッジウェイ大将より贈られた「自由の鐘」。
オリジナルの自由の鐘はアメリカ合衆国ペンシルバニア州フィラデルフィアにあるようだ。イギリスとの独立戦争の際、
アメリカの独立宣言を朗読するために使用されたことから、独立や自由を意味する象徴として親しまれてきた。
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アーク灯 |
鉄道のある風景 |
日比谷公園の中で鉄道フェスティバルが開かれていた。
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鉄道フェスティバル 看板 |
交通総合文化展入賞作品 |
明治5年(1872年)10月14日新橋〜横浜間に日本で最初の鉄道が開業したことを受け、
それから122年後の平成6年、その誕生と発展を記念し、毎年10月14日を「鉄道の日」と定めた。
日比谷公園でも毎年鉄道フェスティバルが開かれ、今年は24回目である。
園内には鉄道事業者、関連団体、協賛会社等が出展ブースを設け、オリジナルグッズの
販売や展示を行うほか、子供達に大人気のキャラクターショーやミニSL乗車会、
ファミリーゲーム大会など楽しい企画が盛り沢山である。たくさんの人でにぎわっていた。。
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鉄道フェスティバル |
「音楽の旅」 |
「音楽の旅」と題してコンサートが開かれていた。曲目は、鉄道や映画音楽にちなんだ曲が多い。
「汽車ポッポ」「線路は続くよどこまでも」「赤い屋根の家」「野ばらの花束」「ちいさい秋見つけた」
「スーパカリフラジリスティックエクスピアリドーシャス」「美女と野獣」
アンコールでサウンドミュージックから「お気に入りの歌」