2019年2月24日
桜木町駅 | 川村屋 |
愛知の実家で母親の入院見舞いをした後、新幹線に乗り、新横浜駅で下りる。
新横浜から市営地下鉄に乗って、桜木町まで行く。
お昼を「川村屋」というソバ屋で、稲荷ずしがついているとり肉そばセットを食べる。
鶏肉を一晩ヨーグルトに漬け込み、さらに煮込んだ鶏を使っているようだ。
日本の鉄道が開通した初代横浜駅は現在の桜木町駅の場所に、川村屋はあり、
創業は西暦1900年。西洋食堂として開店したお店は、現在まで続き、
立ち食いそばの店として残っている。つゆはカツオだし汁である。
右がランドマークタワー | ビル群 |
みなとみらい駅を目指して歩き出す。
「観光スポット周遊バス あかいくつ」 | 動く歩道 |
「観光スポット周遊バス あかいくつ」は、桜木町駅前から出ている観光バスで、
1回100円で桜木町周辺の観光スポットを巡ってくれる。今回は乗らなかったが、
いつか乗ってみたいと思った。
帆船日本丸 | コスモクロック(大観覧車) |
大観覧車「
シンボルとしての顔を持つ、全高112.5m、定員480名の世界最大の時計機能付きである。
「イサム・ノグチと長谷川三郎 ―変わるものと変わらざるもの」展 |
本日観覧無料 |
横浜美術館で、「イサム・ノグチと長谷川三郎―変わるものと変わらざるもの」展が
開かれていて、天皇在位30周年を祝して、観覧無料になっていた。
展覧会概要
日米の血を受け継ぎ、洋の東西を越えた世界的視野から芸術を再び人々の生活の中に
根付かせようとした彫刻家イサム・ノグチ(1904-1988)と、画家として戦前日本の抽象美術を
リードする一方、理論家として西洋近代美術の潮流と古い日本の芸術文化に通じ、両者の
共通項を抽象芸術に見出した長谷川三郎(1906-1957)。1950年5月、19年ぶりに日本の土を
踏んだノグチと、かねてより彼の作品に注目し、文通をも企図して対話を待ちわびていた
長谷川は運命的に出会い、芸術家としての互いの関心事とビジョンが驚くほどよく似ていることを
知り強く共鳴します
爾来ふたりは固い友情で結ばれ、長谷川はノグチにとって建築、庭園、書、絵画、考古遺物、茶道、
禅、俳句など、有形無形の日本の古い文化遺産への無二の案内役となり、ノグチが日本の美の本質を
理解する上で重要な役割を果たしました。一方、ノグチは対話を通して長谷川の制作意欲を奮い立たせ、
長谷川が墨や拓本、木版を用いてそれまでにない創作の地平を切り開くきっかけを与えました。
本展は、このふたりの芸術家の交友に焦点を当て、彼らが何を見、何を考え、何を
目指したのかを、ふたりが共に歩んだ1950年代を中心に、ノグチ作品約50点、
長谷川作品約70点を通して明らかにしようとするものです。
イサム・ノグチ | イサム・ノグチ 「捜す者、捜し出したり」 1969年 |
ノグチは幼少期に母親と茅ヶ崎に暮らし、1952年には北鎌倉にあった北大路魯山人の
「田舎家」に新妻山口淑子と暮らしながら制作に励んだ。
ノグチは制作の合間を縫ってしばしば長谷川を訪ね、ともに鎌倉の円覚寺で
座禅を組んだり、辻堂海岸を歩いたりしながら交友を深めた。
「リズム・反響・ノイズ 横浜美術館コレクション展」が同時開催されていた。
案内では、今期のコレクション展では、同時期開催の企画展「イサム・ノグチと長谷川三郎
―変わるものと変わらざるもの」に合わせて、クロスジャンルな芸術家たちの交流と、20世紀を通して
現代へと至る抽象的な美術表現の展開に焦点をあてた特集展示「リズム、反響、ノイズ」を開催しますとなっていた。
白髪一雄の「曲流」 |
宮川香山 眞葛焼 |
荘子福(春律) |
荘司福(しょうじ・ふく)(1910-2002/明治43〜平成14)は戦後の日本画壇を代表する女性画家です。
戦前から制作をはじめ、戦後まもなく本格的に発表を開始しました。当時拠点としていた東北の生活や信仰、
さらに中国やインド、エジプト等に取材し、現地の風俗や遺跡をテーマとした作品群により画家としての地位を確立しました。
晩年は日本の自然に眼差しを向け、北海道や東北の風景から着想した作品を多く描きました。
《春律(しゅんりつ)》はスケッチに残されたメモから、青森県の奥入瀬渓流(おいらせけいりゅう)に取材した作品で
あることがわかります。伸びやかに引かれた線と色、そしてメモ書きに《春律》の制作過程における作家の息遣いが感じられます。
マコト・フジムラ(1960年生まれ) |
イサム/ノグチ 庭の要素 1958 |