油ヶ淵 
2025年5月18日
母が入院して、集中治療室に入った後、一般病棟に移ったというので、家族4人で見舞いに行った。
面会時間が14時からだったので、その前に時間があり、油ヶ淵遊水公園に行く。
油ヶ淵は矢作川河口の氾濫原を流れる二級河川・高浜川と、 支川の長田川や
半場川の接続点にある愛知県唯一の天然湖沼。油ヶ淵ができたのは比較的新しく、
江戸時代の初めのころに、矢作川が運ぶ土砂によって三河湾の入り江がせき止められて誕生した。
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| しょうぶ |
しょうぶ |
油ヶ渕の名前の由来は、息子の漁の安全を祈る母のために、淵の神様が
娘の姿に変え油を買いにきて岬を照らしたとの伝説による。
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応仁寺 |
応仁寺は蓮如上人(1415〜1499)がこの地方で布教の拠点としたお寺
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| 五劫思惟阿弥陀仏(ごこうしゆいあみだぶつ) |
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黒ぼとけ堂があり、仏さまが2体あった。まるで即身仏の姿である。
阿弥陀仏に成仏する前の「宝蔵菩薩」の姿を現しているそうである。
黒ぼとけの作者の岩月藤エ門は生まれは幕末に近い頃といわれ、現碧南市半崎町の小作農
堂内には五劫思惟の姿とある。五劫思惟とは五劫もの長い間考え続けたこと。
気の遠くなるほどの長い歳月を寝食を忘れ只ひたすら瞑想に励む」と解釈されている。
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| 応仁寺への階段 |
碧南市民病院 |
母の入院している碧南市民病院が油が淵越しに見える。
母は、心不全で老人保健施設から病院に行ったが、
年齢は高齢なので、体力はだいぶ衰えてきている。
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| 蓮 |
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面会は一回15分で、二人までであるので、二人ずつ分かれて面会をした。
母はだいぶ弱っている印象を受けた。じっと母はこちらを見ていた。
2025年6月4日
5月31日に愛知に住む妹から連絡があり、母の調子がよくないとのこと。
6月1日に向かうことにした。朝、職場に行き、用事をすませ、14時ころに
愛知の妹が待つ施設に行った。母に話しかけたが反応はほとんどなし。
17時に施設が閉まるため、一旦、施設を離れ、18時半頃、施設から連絡が入り、
駆け付けたら、ほとんど同時に母は亡くなった。医師が次の朝まで来ないので、
死亡の判断は次の日の朝まで待つことになった。
2日の朝、11時過ぎ、実家に遺体が運ばれ、葬儀屋さんと坊さんと打ち合わせ。
午後、一旦東京に戻り、再度3日に、車で家族と愛知に向かう。ただ、
娘は仕事があり、一人で新幹線で来たので、三河安城まで迎えに行く。
衣浦斎園で、3日通夜、4日に葬儀が行われた。
3日は家族で、三河安城駅前の東横インで宿泊。
帰りに油ヶ淵の花しょうぶが見頃になっているといわれたのでまた寄った。
花しょうぶ祭りも開かれていたので、人も賑わっていた。

油ヶ淵でボートの練習が行われていた。