安土城 

2019年8月18日


   
 安土駅前 織田信長公像 織田信長の南蛮甲冑 

   
 安土城  観音寺山と安土山

   
   安土城郭資料館にある天守の模型

   
   

安土城は織田信長が築城。しかし、わずか6年で焼けてしまう。
JR琵琶湖線「安土駅」から北東に約2km。琵琶湖湖畔の安土山(滋賀県近江八幡市)に安土城は築かれた。

   
   大手道

城内に入るやいなや石垣造りの登城路「大手道」(おおてみち)が出現。
安土城の大手門(正面玄関)から山頂部に築かれた天主や本丸に至る重要な道。
道幅は約6〜7m、両側は幅約1m強の側溝と高さ3mの石塁によって囲まれており、180mも直線的に続いている。

   
羽柴秀吉邸跡  羽柴秀吉邸主殿 

大手道の両側には、雛壇のように郭が配されている。伝羽柴秀吉邸跡・伝前田利家邸跡、
伝徳川家康邸等武将の屋敷跡が並ぶ。

   
   

   
   

石仏もあって、安土城の築城を急ぐため、使える石は集めてきたといえる。

   
安土城中枢部へとつながる黒金門跡   

   
   

   
   天守閣址

信長は、この安土城の中心部。地下一階、地上六階の建造物を天主と命名した。
天守ではない。天主である。

   
往時の礎石が残る安土城天主台跡   

天正10年(1582)6月2日に起きた本能寺の変で、織田信長は自刃。本能寺の変の後に、
明智光秀が安土城に入城したが、織田信長の後継者争いとして羽柴秀吉との
一大決戦へ臨むため、数日で安土城を発ってしまう。明智光秀が安土城を離れた後、
安土城は原因不明の放火によって天守と本丸が焼失。6月14日から15日にかけて安土城は炎上したとされる。

   
   

   
   織田信長公本廟

   
 二の丸址  信長公本廟

信長公本廟は、豊臣秀吉が1583年(天正11年)信長の遺品を奉った廟

   
織田信長公菩提   

   
ハ見寺跡に残るハ見寺三重塔   

ハ見寺(そうけんじ)は、織田信長によって安土城内に創建された本格的な寺院。
元々は天主と城下町を結ぶ途中にあり、安土城を訪れる人々がハ見寺の境内を通って
織田信長へ参上した記録が残されている。本能寺の変の後、安土城炎上では
類焼をまぬがれたものの、江戸時代末期の火事で焼失。その後は、
大手道脇の伝徳川家康邸跡に寺院を移して現在に至る。

   
西の湖  「仁王門」(楼門) 

天主跡から下ると、本堂跡にたどり着く。本堂跡からは西の湖が見える。

   
   

仁王門をくぐり、大手口に合流して、入口まで戻った。

   
   

   
   


   
   

「安土城天主 信長の館」は、1992年に開催されたスペイン・セビリア万博へ出展された
安土城天主5、6階部分が、原寸大にて復元されている。VR(バーチャルリアリティ)
安土城シアターでは、約15分間のショートムービーも鑑賞した。

   
   

安土城は1579年(天正7年)織田信長の命によって建築された世界で初めての
木造高層建築といわれ、高さ46メートルの壮大で絢爛豪華な様はキリスト教宣教師が絶賛した。
しかし、築城以来わずか3年で安土城は焼失し「幻の名城」と呼ばれてきた。