青山通り 
2025年10月11日、12日
国道246号線のうち、千代田区永田町の三宅坂交差点から渋谷区渋谷の
明治通りと交差する地点までの、約5kmの区間は「青山通り」と呼ばれている。
名称の由来はこの通りに沿うようにして青山家の宗家、分家の屋敷が
連なっていたからである。都心側の沿道には政治関連の建物が多く、
渋谷側は表参道や渋谷などの流行に敏感な地域を通る。
青山通りの下にメトロ半蔵門線と銀座線が通っている。
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| 渋谷駅前 |
Bunkamuraル・シネマ渋谷宮下 |
渋谷を舞台にした「見はらし世代」を観る。
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| 宮下パーク |
宮下パーク |
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| 渋谷スクランブルスクエア |
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| 映画ポスター |
模型 |
上映後、見はらし世代の舞台挨拶があった。
主人公の青年・蓮と、結婚を控え将来について悩む姉。そして母の喪失
をきっかけに姉弟と疎遠になった、ランドスケープデザイナーの父。
渋谷の街を舞台に、関係をふたたび見つめ直そうとする彼らを描く本作は、
普遍的な家族の風景から、都市の再開発がもたらす影響までを繊細に描き出す。
映画館を出た後、映画に出た景色も見てみたいと思い、ふらっと明治通りを歩く。
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渋谷横丁 |
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| 明治通り |
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明治通りをぶらついた後、ブラタモリで撮影していた青山通りを歩いてみた。
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| 岡本太郎の「子どもの樹」 |
金王坂(左)と宮益坂(右) |
渋谷駅から宮益坂を上がると「宮益坂上」交差点で金王坂と交わる。
角地にデジタルサイネージが設置された、立派なY字路だ(正確には五差路)。
金王坂の名は旧町名の金王町に由来する。いかにも
古そうな名前だが、命名されたのは1979年のことである。
宮益坂を登り、東京メトロ銀座線外苑前駅を過ぎると、
青山通りはそれまでの急坂が嘘のように平坦な道となる。
ほんの数百メートル南を走る六本木通りは、
登ったり下ったりの高低差が非常に激しい道である。
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| 青山学院大学 |
南青山五丁目交差点 |
南青山五丁目交差点は青山通)と骨董通りがクロスする交差点
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| 表参道駅 |
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| Y字路が特徴的な外苑前交差点 |
外苑銀杏並木交差点 |
外苑銀杏並木交差点、青山1丁目交差点や赤坂方面へ歩を進める。
僅か100mちょっとでY字路的に右青山通り、左国立競技場に突き当たるスタジアム通りの分岐交差点
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| 明治神宮外苑 |
三神殿 |
豊川稲荷も青山通り沿いにあったので、お参りをした。暗かったので、写真映えはしなかった。
「豊川稲荷東京別院」の正式名称は「豊川閣妙嚴寺(とよかわかくみょうごんじ)」
といい、山号を圓福山とする曹洞宗の寺院。建立は文政11年(1828)で、
江戸時代に大岡越前守忠相公(おおおかえちぜんのかみただすけこう)が、
日常的に信仰していた愛知県豊川市にある「豊川稲荷」の分霊を
赤坂一ツ木の自邸に祭ったのがはじまり。明治20年(1887)に現在の地に奉遷された。
「三神殿」には三体の神様が祭られている。豊川稲荷は「曹洞宗」つまり
禅宗の寺院。手を叩く代わりに合掌でお参りするらしいと後で気づく。
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| 大黒堂 |
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大黒堂はご本尊の「豐川吒枳尼眞天」(尊天さま)の別のお姿。
この日は暗くなってきたし、歩き疲れたので赤坂見附駅から地下鉄に乗って帰路に着く。
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コメ兵の広告看板 |
次の日、新宿ピカデリーで「ワンバトルアフターアナザー」を見た後、
地下鉄で霞が関駅まで出て、青山通りを前日と逆方向で歩くことにした。
新宿ピカデリーの近くでカバンを持ったルノワールの絵の看板があった。
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| 霞ヶ関駅 |
国会議事堂南地区の前庭 |
霞が関駅から国会議事堂方向に歩く。国会前庭には、北庭・南庭がある。
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| 国会議事堂 |
憲政記念館の売店 |
憲政記念館に立ち寄る。
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| 国会図書館 |
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| 青山通りに出る。 |
赤坂見附陸橋 |
青山通りは外堀通り(都道405号線、環状第2号線)の上を赤坂見附陸橋で越える。
陸橋の下の赤坂見附交差点で外堀通りに左折すると溜池方面に、右折すると四谷方面に向かう。
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| 赤坂見附陸橋(外堀通り交点) |
赤坂見附陸橋(外堀通り交点) |
赤坂見附交差点の下にメトロ銀座線や丸の内線の赤坂見附駅があり、
交差点の手前に衆参両院の議長公邸が、交差点東側に
赤坂エクセルホテル東急が、北側に東京ガーデンテラス紀尾井町がある。
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| 青山通りと旧大山街道が分かれる場所 |
豊川稲荷 |
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| 牛鳴坂 |
江戸時代末期の大名屋敷の門 |
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| 弾正坂 |
薬研坂 |
薬研坂は中央がくぼみ両側の高い形が薬を砕く薬研に似ているために名づけられた。
付近住民の名で何右衛門坂とも呼んだ。タモリのお気に入りの坂。
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稲荷坂 |
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| 乃木会館 |
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乃木神社は、乃木将軍として今でも親しまれる乃木希典(まれすけ)命夫妻を祀る。
明治45年7月30日明治天皇が崩御され、そのご大葬が行われた9月13日夜、夫妻は殉死をした。
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| 拝殿 |
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乃木大将と辻占売り少年 |
| 乃木大将と辻占売少年像 <案内板より> |
今に伝えられる「乃木大将と辻占売り少年」の話は、明治24年(1891)、乃木希典が陸軍少将の時代、用務で金沢を訪れた折りのことです。希典は金沢で偶然、当時8歳の今越清三郎少年に出会います。今越少年は、辻占売りを営みながら一家の生計を支えていました。この姿に感銘を受けた希典は、少年を励まし、金弐円(2円)を手渡しました。今越少年はこの恩を忘れることなく、努力を重ね、金箔業の世界で大きな業績を積み上げました。
この銅像は、こうした乃木希典の人となりを伝えるものとして、昭和43年(1968)に旧ニッカ池(六本木6丁目)の縁に造立されましたが、このたび旧ニッカ池周辺が整備されることとなり、希典所縁のこの地に移建されました。 平成13年(2001)9月 |
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乃木邸 |
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| 乃木邸 |
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乃木夫妻は乃木邸で殉死をした。
戦いの折に明治天皇から賜った軍旗を失くしたことをずっと悔やんでおり、
天皇が崩御したその大喪の礼の号令に合わせて、自刀したとのこと。
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| 殉死の室 |
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乃木夫妻が殉死された部屋を窓から眺める事ができる。
夫妻を祀る由緒から、夫婦和合の神さまとして結婚式場としても人気がある。
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| 乃木坂 |
乃木公園 |
東京都港区赤坂8丁目と9丁目の境、乃木神社前を西へ外苑東通りへ上る坂道。
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| 明治神宮外苑のイチョウ並木 |
明治神宮外苑 |
明治神宮外苑は、明治天皇と昭憲皇太后のご遺徳を永く
後世に伝えるために、全国国民からの寄付金と献木、青年団による
勤労奉仕により、文化・スポーツの普及の拠点として、大正15年(1926)10月22日に
明治神宮に奉献。青山通り口から外苑中央広場円周道路に至る約300mの
いちょう並木は、11月中旬ごろより黄葉が始まり11月下旬になると黄金色に輝く。
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神宮外苑いちょう並木 |
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ランボルギーニの「アヴェンタドール」 |
イチョウ並木には、高級車が駐車されたり、行きかっていた。
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| 聖徳記念絵画館 |
イチョウ並木 |
帰りは信濃町駅まで歩いて、新宿駅経由で下高井戸駅に行く。
月見湯でお風呂にも入り、下高井戸シネマで「ガールウィズニードル」を見て、
リッチな海鮮丼を食べ、お酒も飲み比べセットを飲んで、一日を締める。

リッチな海鮮丼