荒木経惟展 

2017年8月18日

東京都写真美術館と東京オペラシティで開催されていた荒木経惟の写真展を見に行ってきた。
写真撮影は可能になっていた。

「荒木経惟 センチメンタルな 旅 1971〜 2017〜」展

   
センチメンタルな旅  「私写真家宣言」

東京都写真美術館の案内文より
東京都写真美術館は、総合開館20周年を記念して「荒木経惟 センチメンタルな 旅 1971? 2017?」展を開催します。
荒木経惟は、1960年代から活動を始め、国の内外で高い評価を得ています。荒木の作品は、テーマや手法が多岐に
わたることでも知れ、これまでに500冊近い写真集を上梓するなど、 その制作意欲は現在もなお、尽きることがありません。 
本展は、その膨大な作品群から、妻、「陽子」というテーマに焦点をあてた展覧会です。
荒木 自らが「陽子によって写真家になった」と語るように、1960年代の出会いから1990年代のその死に至るまで、
陽子はもっとも重要な被写体であり、死後もなお荒木の写真に多大なる 影響を与え続けてきました。
本展では、陽子を被写体とするものや、その存在を色濃く感じさせる多様な作品を通して、荒木が重要視している
被写体との関係性を探り、またその写真 の神髄である「私写真」について考察していきます。
展覧会タイトルの「センチメンタルな旅 1971〜 2017〜」とは、1971年に出版された私家版の写真集に始まり、
現在へと続いている荒木経惟の私写真、そしてその写真人生そのものを表しています。

   
陽子さんの電通時代   

「荒木経惟 センチメンタルな旅1971〜2017〜」展の表題は
昭和46(1971)年7月の新婚旅行を記録した、自費出版の写真集からとられた。
「ここが出発点。陽子がオレを写真家に育ててくれた。ずっと生理と本能で
撮り続けてきたから、後から写真を見て、今も気付かされることが多いのよ」

   
「センチメンタルな旅」   「センチメンタルな旅」

約3年の交際を経て結婚。新婚旅行で撮影したのが、有名な「センチメンタルな旅」
2人の出会いは昭和43年。大手広告代理店「電通」のカメラマンだった荒木が、社内報撮影で訪れた
文書部タイプ室に陽子がいた。都立白鴎高校を卒業して入社2年目。もっさりとした前髪を行儀よく
ピンで留めた素朴な女の子に「何かある」と直感した。当時の心境を陽子はエッセーにこう記していた。
「一人の男の出現によって、季節がはっきりと区切られていくのを、秘かに自分の
心の中に感じていた。私、20才。彼、27才。冬の終わり頃だった」

   
「センチメンタルな旅」  「センチメンタルな旅」 

荒木経惟(あらき のぶよし)は、『センチメンタルな旅』を限定1000部で自費出版。
以降、妖艶な花々、緊縛ヌード、空景、食事、東京の街、愛猫、様々な
被写体から強烈なエロスとタナトスが漂う独特の写真世界を確立している。

   
「 東京は秋」  「陽子のメモワール」

「 東京は秋」は、電通の退職金で購入したカメラで東京の風景を撮ったシリーズ。

   
「陽子のメモワール」  食事 

   
 センチメンタルな旅・冬の旅  こぶしの花を抱えた自分の影

   
手を握る   こぶしの花

「冬の旅」は、陽子夫人の最後の誕生日から、闘病生活、死を迎えた1990年1月27日、そして
葬儀後までの日付入りの写真のシリーズ。後年に空に興味を持つきっかけとなったという、陽子夫人の
手術中に見上げた空の写真や、こぶしの花を手に見舞いに向かう途中の自分の影を写した作品など、
死を感じさせる静かなトーンの作品が並ぶ。

   
荒木洋子さんの遺体  陽子さんの遺影 

陽子さんは42歳という若さで1990年1月27日に子宮肉腫という病気のため他界。
「冬の旅」は陽子さんの死への旅路を記録した写真である。

   
   

   
   

   
色景 

「色景」は、彼女のお気に入りだったピンクのコートを羽織り、遺影と共に写る荒木。
残された荒木は、幸福な時間を過ごしたバルコニーから毎日空を撮るようになる。
空景は、「あまりにもさびしくて」。モノクロームの空の写真に次々と絵の具で彩色していった。
「オレは印象派だから。このときの空は青じゃない、涙の色だよ。印画紙が絵の具を
はじいて意図しない模様ができたのは、神との出会いだと思った」
「遺作 空2」は、陽子の死後その悲しみをエネルギーにして写真を撮ってきた荒木が、
2008年に前立腺がんを患い、その復帰後に発表した"遺作"。自身も死を意識することになった
荒木の写真日記でもあり、空の写真に書やペイント、コラージュがほどこされている。

   
写狂老人A日記 2017.1.1-2017.1.27-2017.3.2  東京写真美術館からの眺め 


「荒木経惟 写狂老人A」展

   
   

東京オペラシティアートギャラリーでも「荒木経惟 写狂老人A」展が開催されていたので、恵比寿からの帰りに初台に寄った。

本展では、今年77歳を迎える荒木が本展に向け制作した新作を展示。また、原点とも言える60年代に
制作したスクラップブックなどもまじえ、総数1000点超の壮大なスケールで、その多様な活動を紹介する。
タイトルの「写狂老人A」は、生涯を通じて精力的に制作を続けた葛飾北斎が70代半ばで「画狂老人卍」と号したことに
なぞらえ、荒木自身を表したもの。自らの「死」と対峙するような経験を経て、「生と死」という長年のテーマが
より鮮明に表現されている荒木の最新作を中心に、その広大かつ多様な活動の核心に迫る展覧会となる。

   
   

最初の部屋、「大光画」はさまざまな年代の人妻のヌードを撮ったもの。『週刊大衆』で
1998年にスタートした連載「人妻エロス」は今なお人気の企画。堂々と肉体をさらすあっけらかんとした
人妻の姿からは、力強い生命力と生きることを謳歌する女たちの意気込みさえも伝わってくる。

   
 空百景  花百景

隣り合わせの壁にそれぞれ100点ずつ、空と花を写したモノクローム写真が展示されている。
空は葛飾北斎の『富嶽百景』へのオマージュ、花は伊藤若冲の『百花図』に触発された作品である。

   
 写狂老人A日記 2017.7.7 写狂老人A日記 2017.7.7 

   
 写狂老人A日記 2017.7.7 写狂老人A日記 2017.7.7 

「写狂老人A日記 2017.7.7」は678点が並ぶ。昨年、移動中の車中から撮ったものだが、
プリントに印字された日付はすべて2017.7.7。7月7日は陽子さんとの結婚記念日であり、
彼女とは7歳違い。織姫と彦星が年に一度会う七夕の日であり、彼女と別れてもこの日には
会おうと約束したという。今年77歳になったアラーキーの7にも引っかけている。
テーマなどはなく、ひたすらシャッターを切っている。

   
 写狂老人A日記 2017.7.7 ポラノグラフィー 

3つの映像ルームが用意され、「八百屋のおじさん」、「非日記」、現在も続くポラロイドによるシリーズ「ポラノグラフィー」を上映する

   
遊園の女  遊園の女 

   
 切実 切実 

最後の部屋は、自作にハサミを入れてコラージュするという試み「切実」を目にすることもできる。
「写真というのは真実でも現実でも事実でもなんでもない。切実な真実っていうかさ、つまり“切ない”っていうことなんだよ」

   
本の紹介   本の紹介

   
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