嵐山 

2024年5月5日

   
嵐電  嵐山駅 

前日に東横インで泊まって、朝、四条大宮から嵐電に乗る。
嵐山駅に到着。嵐山で朝の散歩をする。早朝でも人はたくさん出ていた。

 
 渡月橋 渡月橋 

渡月橋は大堰川(おおいがわ)に架かる全長約155mの橋で、
橋脚は鉄筋コンクリート製ですが、欄干部分は檜造りである。
満月の夜に舟遊びをされた亀山天皇が、曇りのない夜空に月が
橋を渡るようなさまを見て「くまなき月の渡るに似る」と
詠まれたことから「渡月橋」と称されたと言われている。

   
嵐山屋形船   

   
電電塔について  電電宮 

電電宮は、電力、電気、電波、電子等あらゆる電気関係事業の
発展と無事故安全を祈願する。つまり、寺ではあるが、電気の神様も
祀ってある。寺ではあるが起源は神社だったようである。

   
法輪寺本堂   

   
   

法輪寺の本尊の虚空蔵菩薩は「嵯峨の虚空蔵さん(さがのこくうぞうさん)」として親しまれている。
「十三まいり」の寺として有名で、数え年13の男子、女子が智恵と福徳を授かるために参詣する。
ちょうど記念写真を撮っていた少女は13歳なのかな。

   
庫裏(くり)   達磨図

臨済宗天龍寺派の大本山。足利尊氏が後醍醐天皇の冥福を
祈るために、後嵯峨上皇の亀山殿の跡地に創建された
明治32年(1899)の建立。庫裏は七堂伽藍の一つで台所兼寺務所の機能を持つ。
方丈や客殿と棟続きで、切妻造の屋根下の大きな三角形の壁を正面に見せる。
白壁を縦横に区切ったり、曲線の梁を用いたりして装飾性を出した建物で
天龍寺景観の象徴ともなっている。玄関に入った正面に置かれる大衝立の
達磨図は前管長である平田精耕老師の筆によるもので、方丈の床の間などに
同じ達磨図が見られ、達磨宗である禅を象徴し、天龍寺の顔ともいえる。
足利尊氏を開基とし、夢窓疎石を開山として開かれたのが天龍寺で、
その目的は後醍醐天皇の菩提を弔うため暦応2年(1339)に創建された。
創建以来八度にわたる大火で創建当時の壮大な面影はとどめていない。
庫裏の玄関正面に置かれた達磨図。天龍寺の前管長(前住職)である
平田精耕老師の筆によるもので、モチーフは禅宗の初祖・菩提達磨大師。
達磨が伝えた禅の宗風を象徴しており、まさに天龍寺の顔

   
   

   
   

   
 曹源池庭園(そうげんちていえん) 曹源池庭園 

当時の原型を残す曹源池庭園は亀山や嵐山を借景にした池泉廻遊式で、夢窓国師の作庭といわれる。

   
雲龍図  雲龍図 

大方丈の東西を仕切る襖の雲龍図。昭和32年(1957)に絵師の若狭物外
によって描かれた。きらびやかな金色と龍の組み合わせが見事。
向かい側に広がる庭園の映り込みによって龍と庭園が一緒に楽しめる

   
   多宝塔の室内

現在の諸堂は明治になって再建された。
方丈には藤原時代の釈迦如来坐像を安置。
多宝殿は吉野朝の紫宸殿を模して建てた。
後醍醐天皇が幼少の頃勉学し成人した所でもあると
いわれている。後醍醐天皇の聖廟とされている

   
   

法堂(はっとう)天井に平成9年(1997)天龍寺開山夢窓国師650年遠諱記念事業として
日本画家加山又造画伯(1927〜2004)により「雲龍図」が描かれた。500円払って観覧した。
天井(縦10.6m 横12.6m)に厚さ3cmの杉板159枚を張り合わせ全面に漆を塗り、
さらに白土を塗った上に直径9mの二重円相内に直接墨色で躍動する見事な八方睨みの
龍が描かれている。写真撮影は禁止だったので、写真は撮ることができなかった。

   
   

「方丈」の扁額は関牧翁老師(天龍寺第8代管長)の筆。

   
天龍寺総門  人力車 

「総門」には『大本山天龍寺』と書かれた標識が掲げられており、ここから長い参道が方丈まで続いている。


嵐山駅