浅草〜スカイツリー 

2016年4月17日



前々から息子にわんこそばを食べさせようという話が出ていて、娘から浅草でも
わんこそばが食べられるということで、家族で行くことになった。

   
 銀座線「浅草駅」4番口 スカイツリーとアサヒビール吾妻橋ビル

まずは、浅草駅で待ち合わせ。私は少し早めに浅草駅に行って、先に一人街歩きをしてみた。

   
 神谷バー 商店街 

神谷バーにデンキブランと名付けられたカクテルが登場して、およそ百年になるとのこと。
電気がめずらしい明治の頃、目新しいものというと"電気○○○"などと呼ばれていた。
さらにデンキブランはたいそう強いお酒で、当時はアルコール45度。
それがまた電気とイメージがダブって、この名がぴったりだったようである。
ちなみに現在のデンキブランはアルコール30度、電氣ブラン<オールド>は40度であるとのこと。

   
 着物を着ている人も多い。  仲見世通り

通りでは、雨が降っているのに人がたくさんいて、にぎやかである。外国の観光客も多い。
着物を着ている女性もたくさん歩いていた。着物の貸し出しをしているようである。
仲見世通りは、江戸時代から200年以上も続く商店街。長さは約250メートル

   
伝法院通りからスカイツリー  伝法院通り 

   
 宝蔵門  五重塔

   
 浅草寺本堂 お水舎 

昭和33年(1958)10月、全国ご信徒のお力添えにより再建された現本堂は、鉄筋コンクリート、本瓦葺であり、
昭和20年(1945)3月10日に惜しくも戦災で焼失した旧本堂(国宝、3代将軍徳川家光建立)と同形態である。

   
 浅草寺の天井絵 浅草神社 

天井絵は、川端龍子の「龍之図」と堂本印象の「天人之図」。

浅草神社は、浅草寺の東側にある。浅草寺草創に関わった檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)
兄弟と土師中知(はじのなかとも)の3人を主祭神とする神社
そのため三社権現と称され、現在では「三社様」として親しまれている。
現在の社殿は、1649年(慶安2年)に徳川家光の寄進で建立されたもので重要文化財に指定されている。

   
神輿   浅草神社

   
川口松太郎の碑 (左) 二天文 

川口松太郎の碑 (左)は、「生きるということ むずかしき 夜寒かな」と刻まれている。

二天門は、東照宮の「随身門」として本堂の東側に江戸時代元和4年(1618)に建てられた

仏教の守護神である四天王のうちの増長天と持国天が祀られている。

   
 松尾芭蕉と句碑  弁天堂

浅草寺の本堂の東南にある弁天山と呼ばれる小高い丘に建っているお堂に祀られているのが、弁天さま。

この弁天さまは、白髪なので老女弁財天ととも呼ばれている。

松を芭蕉の句碑は、上部に句「くわんをんのいらか見やりつ花の雲」、下部に芭蕉の座像が刻まれている。

   
法楽  日本駄右衛門像とスカイツリー 

縁日の「巳(み)の日」にお堂があいて、法楽が営まれれている

   
 日本駄右衛門  

日本駄右衛門 伝法院通りで『白浪五人男』がみえ、5人男の一人。『白浪五人男』が、ここにあるのは、
この歌舞伎『青砥稿花紅彩画』(あおとぞうし はなのにしきえ)の作者、河竹黙阿弥がこの辺りに住んでいたからとのこと。
問われて名乗るも おこがましいが、産まれは遠州浜松 在、十四の年から親に放れ、身の生業(なりわい)も白浪の、
沖を越えたる夜働き、盗みはすれど非道はせず、人に情けを掛川から金谷をかけて宿々で、義賊と噂 高札に、
廻る配符の盥(たらい)越し、危ねぇその身の境界も、最早(もはや)四十に人間の、定めは僅か五十年、
六十余州に隠れのねぇ、賊徒の首領 日本駄右衛門

   
 浅草公会堂  路地からスカイツリー

   
 雷門 提灯が閉じられる。  地下鉄浅草駅入口

雷門は、自然災害の除難を目的として右側に風神、左側に雷神が祀られていて、
正式名称は「風神雷神門」という。やはり強風のため、提灯は閉じられていた。

   
神谷バー   浅草駅

   
 隅田川テラス カップルが自撮りを確かめる 

   
 人力車  

   
 六区 浅草演芸ホール 

浅草六区は、浅草1丁目と2丁目にまたがる繁華街。
昭和30年代、テレビの普及や東京の他の繁華街の発展によりこの地域の地盤沈下になるまで、
大衆娯楽、映画、日本のエンターテインメントの中心になる地域であったとのこと。

   
わんこそば「大娯」   わんこそば店内

街歩きもして、昼もまだ食べていなかったので、お腹もすいてきた。

「はい、どんどん、じゃんじゃん」の掛け声とともに、一口サイズのおそばを食べていく。

   
 わんこそば90杯 木馬亭 

わんこそば、息子は150杯、私は90杯。もう少しで100であったが、無理をしないでやめる。
わんこそばを食べてから、家族で浅草寺に再度向かう。

   
五重塔とスカイツリー  瓜生岩子(うりゅういわこ)像 

瓜生岩子(うりゅういわこ。1829〜97)は福島県会津に生まれ、その半生を社会福祉事業にささげた。
児童教育や女性・貧民救済などの社会福祉事業の推進に努めた。
この像は、岩子の善行をたたえ、実業家の渋沢栄一(1840〜1931)らの助力のもと、明治34年(1901)に完成した。
教育家として女性の地位向上に尽力した下田歌子(1854〜1936)の撰文が台座に刻まれている。

   
 浅草寺境内 浅草寺 

浅草寺の本尊は観世音菩薩で、「観音さま」と呼ばれ人々に親しまれている。

   
観音堂の提灯   浅草寺境内

赤い大きな提灯は強風のため、閉じられていた。

   
御宮殿  アサヒビールのビルとスカイツリー 

スカイツリーまで行ってみようということになり、歩いて行った。

   
   エレベータの装飾

スカイツリーにエレベータで登った。こちらも強風のため、徐行運転になっていた。

展望台は地上350mの景色が楽しめる天望デッキと、地上450mの天望回廊がある。

展望デッキに行くことにしたが、エレベータに乗るまでに一時間以上待たされた。

外も明るかったが、だんだん暗くなり夜景になっていった。

   
   

   
   ガラス床

   
 ガラス床 ガラス床 

   
 夜景  東京タワーもみえる

   
 エレベータの装飾  

   
 スカイツリー  ソラマチの看板

   
   アサヒビールの店