2004年3月29日
再度、金時山に登りました。今回は足柄峠を経由しました。
天気もよく、富士山がしっかり見えました。
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当日の行程
新松田駅バス発 9:05 地蔵堂 9:40 足柄道入り口 10:00 足柄城址公園 10:30 金時山登山道入り口 11:10 猪鼻砦跡 11:30 金時山頂上 12:00〜12:15 矢倉沢峠 13:40 仙石14:00 箱根湯本 |
新松田駅 | 地蔵堂 |
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小田急線松田駅からバスに乗り、地蔵堂まで行きました。
地蔵堂からは、しばらく舗装道でした。登山道を歩きたいと思っていると、
登山道入り口があったので、入りました。しかしまた舗装道に出て渡ったりしながら、
登山道を歩きました。登山道に沿って舗装道が作られているような感じです。
この登山道を足柄小道と呼んでいるらしいです。途中、矢倉岳も見えました。
登山道入り口 | 矢倉岳 |
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足柄道 | |
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足柄道は、今から約1200年前の奈良・平安時代の菅道で、西の都から静岡へ、さらに、御殿場からこの地(足柄峠)を超えて坂本(関本)をとおり小総(国府津)から箕輪(伊勢原)、武蔵へと続いていました。802年に富士山が噴火して足柄道が埋まってしまった時は、御殿場から箱根へ出て確氷峠から明神を超えて、関本に下る確氷道が利用されたこともありますが、古代の官道はほとんど足柄道であったのです。その後、東海道が主流になり足柄道の往来も少なくなりました。南足柄は都から関東に入る玄関口であったわけで、中央の文化の一番早く伝えられる所でもあったといえます。 |
足柄峠一里塚 | 足柄の関 |
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足柄峠は海抜759mにあり、古くから足柄路として知られ、東国と西国を結ぶ重要な路としてにぎわった所です。
周辺には、西暦811年建立の聖天堂や足柄城址を始め、新羅三郎吹笙の石、関所跡、
又多くの石像物などの史跡も数多く、歴史の重みを感じます。遊歩道もあって、一つの見所となっています。
足柄城址の場所は竹之下の合戦の折、足利尊氏軍が本営を置き、竹之下を望んで陣取った場所でもあります。
足柄城址から見る富士山は雄大さを感じ、大きくゆるやかに裾野をひろげていました。
関所は西暦899年に盗賊の取締りに設けられたが、この道は鎌倉時代になって箱根道が開かれるまで、
官道・公道として幹線道の役割を担っていました。
足柄峠から金時山への登山口にもつながっています。
西暦113年には倭建命(やまとたけるのみこと)が東征に用いその帰路、妻を偲んで「あづまはや(我妻よ)」と
叫んだと伝えられていることで有名だそうです。また、この峠を堺に東国と呼ばれ、東をあづまと読むのもこれに
通じていると言う説もあるようです。
足柄城址から | 冠雪の富士山 |
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五の郭(道標が続いていた) | 新羅三郎義光吹笙の石 |
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新羅三郎義光吹笙の石があるところは、後三年の役に出陣の際、足柄峠で
笛の師、豊原時元子、時秋に相伝の秘曲の奥義を伝えたとされる場所です。
金時山登り口をしばらく行くと、猪鼻砦跡があり、富士山と御殿場の眺めがよく見えました。
それから、金太郎の道標があり、鳥居をくぐると、12階段が始まります
金太郎の道標 | 12階段の最初 |
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金太郎には鯉のぼりなんでしょうね。 | このような階段が12あります。 |
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この山は常連が多くて、私は今回で2回目でしたが、前回登ったときに会った人に、今回も再会しました。200回を超えて登っていられるその方は、同じ山でも登るために景色や様子は違うとおっしゃっていました。
また、2400回を超えて登っている田島さんにも頂上でお会いしました。78才とは思えないほど若く見えました。体つきは華奢ですが、元気いっぱいです。周に3回ぐらい登っているとのことです。その日の天気を見て、散歩の代わりのように登っていられるとのことでした。 |
金時山頂からの展望 | 下りにあった道標 |
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