2019年8月11日
金山城から近いということで、今回は車だったので、急遽、足利氏館に行くことにした。
鑁阿寺山門 | 多宝塔と大銀杏 |
足利氏館は鑁阿寺(ばんなじ)といい、真言宗大日派の本山。もともとは
足利尊氏の先祖にあたる義兼が築いた館であり、国の史跡に選ばれている。
現在でも寺の境内の周囲には土塁と堀がめぐっており、一般的に「方形居館」と
呼ばれる鎌倉時代前後の武士の館の面影が残されている。
多宝塔は、足利義兼の創建と伝えられるが、江戸時代の元禄5年(1692年)
徳川五代将軍の母、桂昌院尼公の再建したものである。
足利氏宅跡 | 弘法大師像 |
鑁阿寺本堂 | 本堂 |
鑁阿寺(ばんなじ)本堂は足利義兼が建久(けんきゅう)7年(1196)に足利氏の居館内に
持仏堂を設け、大日如来を本尊とし脇本尊に薬師如来・聖観世音菩薩と聖天様を祀る、
東日本を代表する中世の密教本堂。現在の本堂は室町幕府初代将軍足利尊氏の
父・貞氏が正安(しょうあん)元年(1299)に再建したもの。
本堂は日本古来の建築様式である「和様」に加え、鎌倉時代の初期に宋から
海を越えて伝わってきた建築様式「禅宗様」の要素を採り入れている。
この建築様式の融合は、新たな建築様式「折衷様」として、「禅宗様を
採り入れた折衷様建築のさきがけ」という点が高く評価されている。
堀と土塁 | 分福観音 |
元は有力な武家の屋敷という事もあって、その周囲は濠と土塁によって囲まれている。
分福観音は、庚申と彫られた石群の後方に立つ観音さま。書家として知られる
相田みつをとご縁の深かった和菓子屋の「虎谷」の奉納。
「分福観音」という命名や文字は相田みつをによるもの
大黒堂 | ビジネスホテル「壱番館」 |
大黒堂、宝庫、校倉とも呼ばれる。宝暦2年(1752年)の再建。
もとは宝物を収容した宝庫であったが、42世忍空上人が
大黒天を祀ったため、大黒堂と呼ばれるようになった。
17時ころになったので、予約してあった本庄市にあるビジネスホテルに
向かうことにした。時間があれば、足利学校にも行きたかった。