沼津・淡島

2007年1月1日〜2日

2007年の正月に家族で沼津に観光をした。最初の日は沼津に行き、富士の展望で有名な

千本浜に行き、その日はウェルサンピア沼津に宿泊し、次の日にあわしまマリンパークに行った。

富士山は見えず、鳥たちが舞っていた
千本浜

千本浜についた頃には、富士山は雲の中に隠れていた。風は強く、長くはじっとしていられなかったが、

浜が大きくて、やはり海は雄大さを感じる。鳥達も風にあおられていて、一生懸命飛んでいるように見えた。

沼津港
夕食は正月料理になっていた

次の日は天気が良くて、山の稜線から日の出が見えそうであったので、しばらく待っていたら、出てきた。

ホテルから見た日の出
迎春の樽酒

三津浜から南アルプス
三津浜から富士山

淡島

淡島は駿河湾に浮かぶ周囲2.5Kmの小島で島全体が公園になっている。渡るのはロープウェイか船である。

1980年代に東京相和銀行のオーナー長田庄一が淡島全体をリゾート開発することになり、

運営会社(ファミリー企業)を立ち上げて1984年に「淡島海洋公園(現あわしまマリンパーク)」が開業した。

淡島までロープウェイに富士山を眺めながら乗っているとあっという間に山頂に着く。

そこから階段上の坂を降りて、イルカショーをしている方向に歩いて、アシカショーやイルカショーを見たり

水族館に入ったりして、島の一周遊歩道を歩いた。一周歩いた後に、クイズの看板があちこちに

立ててあったので、やりたいと言ったので、再度一週歩いて問題を解いていった。戻りは船に乗る。

マリンパークのイルカショーの場所
マリンパークから富士山

あしかショー
あしかショー

富士山に雲がかかる
海軍桟橋手前のトンネル

石を切り取った鉄矢の跡
釣り客も結構いた

淡島の概要

 この島はおよそ700万年ほど前、フィリピン海の海底が噴火し、海底火山としてせいりつしたのもであります。そのため淡島の地質は、全島「火成岩」(安山岩)で、3万年前、地球が寒冷化して氷河期となったころ、海水面が現在より150メートル〜200メートルも下がり、島の前が平野となって、淡島が山になりました。このころ富士山が盛んに噴火を繰り返して、また、北東の方角では箱根山も噴煙を上げていましたが、気候が温暖になった7000年前に海水面が上昇して、淡島の周囲は生み隣、この島も再び山から島に戻りました。2800年前には今よりも6メートルぐらい海水面が高く、その後、次第に下がって、淡島は現在の島となりました。
 豊かな緑に包まれた淡島は全体が自然林で、冬でもはが落ちない常緑樹に覆われ、植生の特徴は、島の南西側が南方系のウバメガシ林、東側は対岸の伊豆半島と同じ雑木林になっております。ウバメガシは塩水に強く、ドングリになる木で樹高8メートル前後、島の南西の斜面に群生し、この伊豆半島付近は、ウバメガシの北限であります。
 淡島には70種の野鳥が確認されていますが、周囲が海に囲まれているため、ほぼ半数の30種が水鳥であります。またカモメ科の鳥の多いのも、この島の珍しい特徴であります。
 島内の森には留鳥のシジュウガラ、コガラ、メジロ、ヤマガラ、エナガ、ウグイス、ミソサザイ、コゲラ、カヤクグリなど多数の鳥が見られ、ほかに野生化したハクビシン(ジャコウネコ科の哺乳類、東南アジア原産)も住みつき、「淡島が大変温暖なところである」証明にもなっております。
 淡島の周囲は約2.5`メートル、面積15万平方メートル(約5万坪)、標高138メートルで、島の山頂(天女山)には八賛井天が技術研究所仮実験室が置かれ、日本海軍が秘密兵器(魚雷の一種)の研究を行っておりました。
 淡島アイランドリゾートは昭和59年、淡島ホテル創業者の代表(東京相和銀行開帳長田庄一)が地元の島の地主60人の要望に、この島の開発を手がけ、以来、約8年の歳月をかけて温泉を掘削(深さ1000m、温度41.7度,PH7、中性)し、平成3年秋、日本で唯一の無人島のリゾートホテルと、その施設を完成したのであります。

イエスタディのレリーフ
獅子岩

淡島ホテル

柱状岩
彫刻の周りに人が占領

いるかショー
ウニにふれる

ニモもいた
ペンギン

ペンギンの話があるということで、聞いた。

ペンギンの卵を見せて、ダチョウの卵の大きさと比べたりして見せてくれたりした。

ペンギンは背が黒でお腹が白いのはわけがあるということで、海の中で上空から襲われないように

上空から見て襲われないように海が黒っぽく見えるので、黒色になっており、

下からも眺めてもわかりにくい色として白くなっているとの説明。

要するに自分を守るための保護色になっているのである。

ペンギンの話の説明
淡島