播州赤穂城 

2023年11月5日

   
播州赤穂駅   

   
 息継ぎ井戸  花岳寺

台雲山・花岳寺(だいうんざん・かがくじ)は赤穂藩歴代藩主浅野家・永井家・森家の菩提寺
永平寺を本山とする禅寺。赤穂藩祖浅野長直公によって、正保2年に建立された寺であり、
赤穂事件後は永井家、森家歴代藩主の菩提寺となる。境内には、宝物館・義士木像堂・
大石家や四十七義士の墓などもあり、赤穂義士ゆかりの史跡ともなっている。
元禄14(1701)年、江戸で起きた君主浅野内匠頭の一件を大石邸に伝達した早水藤左衛門と
萱野三平両氏が、邸宅に入る前に一息ついた井戸とされ、息継ぎ井戸と呼ばれている。

   
 鳴らずの鐘  賽頭

鳴らずの鐘はは赤穂浅野家二代の藩主で、切腹した長矩公の父にあたる長友公が、その父長直公の
菩提の為に奉納されたもの。元禄十六年(1703)二月四日赤穂四十六士が江戸で
切腹した知らせが赤穂に届いた時、町民が昼夜鐘を撞き尽くして鳴らなくなったと伝わる。
寛政年間(1789から1801)に改鋳され、鳴らずの鐘が今は鳴っていることから、赤穂七不思議の一つになっている。

   
  虎の絵 

本堂の天井には「竹に虎」の絵。法橋義信画伯の作。

   
  歴代藩主と義士の墓 

   
 義士墓所 義士の墓 

切腹の印として墓標には刃の文字が刻まれ、浅野内匠頭、大石内蔵助親子の墓を取り囲む様に四十七士の墓が並んでいる。

   
笠間藩主浅野長重廟 近藤正純夫婦の墓 

長重(ながしげ)は長直の父親で前任地の常陸国笠間藩主で寛永9年(1632)に
死去し真壁(茨城県)伝正寺に長政と共に葬られている。長重の父は
浅野長政(あさの・ながまさ、1547〜1611)で、母の姉である「ねね」が
豊臣秀吉に嫁いでいる背景で秀吉存命中は破格の待遇を受け五奉行筆頭職を任じている。
秀吉没後は父子共々徳川家康方に属し関ヶ原戦いでは浅野一族の戦功著しく、
長重は下野真岡で2万石の知行を受け、慶長7年(1611)には家康養女を室に迎える。
更に慶長16年(1611)に長政死去により長重は家督相続し、元和8年
(1622)5万3千5百石を以て従前の真壁を含む笠間藩主となる。
近藤正純夫妻は赤穂上の完成に力を尽くした。藩主浅野長直の時代に仕えた家臣。

   
   

   
大手隅櫓   

   
大石邸長屋門  大石主水像

大石邸長屋門は浅野家筆頭家老大石内蔵助の一家三代が
五十七年にわたり住んでいた大石屋敷の正面門長屋である。
大石神社は、昭和十年赤穂義士大石内蔵助良雄の義挙を顕彰するため全国の崇敬者により創建

   
本丸門   

赤穂城は浅野長直の指示によって13年の歳月をかけて築かれた海岸平城。
構造は戦を強く意識しており、複雑に折れ曲がる堀や石垣、角度をたがえる諸門が特徴的

   
 天守台 東横インを望む 

   
 本丸御殿 本丸庭園 

   
 大石頼母助屋敷門  二の丸庭園

   
   

夕方近くになり、夕陽が映えてきた。

   
紅葉   

赤穂駅前の東横インに泊まる。近くの寿司屋で寿司を食べた後、ホテルで地酒を飲む。