備中松山城 
2025年11月26日
雲海に浮かぶ「天空の山城」標高430mの臥牛(がぎゅう)山頂上付近に
建つ備中松山城は、現存12天守の中で唯一の山城であり、最も高所にある。
秋から春にかけて早朝が晴れで、朝方と日中の温度の差が大きい日に、夜明けに雲海が現れる
前日に「天籟」に宿泊し、朝早く(6時半)でて、
備中松山城の展望台に車で向かう。向かう途中、ガスが多くて、雲の中を走る。
展望台から城は雲の中で、出たり入ったりしている。たくさんの人が見て、撮影していた。
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| 天空の城 |
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| 中太鼓櫓跡 |
高梁市内が望める |
5合目にある城見橋公園駐車場にまで車で行く。そこから
山の8合目「ふいご峠」まではシャトルバスに乗る。
中太鼓櫓跡は、高い石垣が特徴的な櫓。ふいご峠にある駐車場と
天守の中間に位置しており、城下町が一望できる。
ふいご峠からは700m約20分歩く。
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| 大手門跡 |
大手門脇の岩盤と石垣 |
臥牛山から切り出した花崗岩や木材を巧みに活用した城造りになっている。
臥牛山全域にわたる備中松山城では、曲輪(くるわ)や堀切(ほりきり)が残る「中世城郭」と、
建物や石垣・土塀が残る「近世城郭」の両方を見学することができる。
鎌倉時代から戦国時代には「戦のための城郭」として、江戸時代には
「備中松山のシンボル」として、備中の拠点としての役割を果たしてきた。
| 備中松山城は鎌倉幕府の地頭、秋庭重信が1240年(延応2)の臥牛山の大松山に居城を築いたのが最初といわれる。秋庭氏は6代続いたが、目まぐるしく城主が変わり、毛利輝元がこの城を前線基地として城の改修を指揮したという。関ヶ原後、徳川氏の直轄領となり、小堀政次・政一親子が修築を行った。その後池田長幸が備中松山藩を起こしたが2代で後継ぎが途絶え、取りつぶしとなり、水谷氏が入る。2代水谷勝宗は標高約432mの小松山の本丸に二重二階の天守を修造するなど大改修を実施し、三大山城と称される現在の姿となったが4代で断絶し、約一年間赤穂藩の家老大石良雄(内蔵助)が城番として在城した。その後安藤氏、石川氏、板倉氏と続き明治維新を迎え、廃城となった。 |
標高約430mの日本最高所に築かれた備中松山城は現存する山城。
狭い曲輪を尾根伝いに連ねた中世城郭と、それぞれの曲輪に高石垣を築いて
天守や櫓を建てた近世城郭の、両方の性格を併せ持っている。
この岩盤の風景は、NHK大河ドラマ「真田丸」のオープニング映像で使われた
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「三の平櫓東土塀」 |
三の平櫓東土塀は土の塊に漆喰を塗って仕上げられている土塀。
「三の平櫓東土塀」は、土の塊を積み重ねて芯にし、その外側に漆喰を塗って仕上げたもので、
筒狭間や矢狭間を備えている。大手門跡から三の丸に続く石段沿いに残る土塀に、歴史を感じる。
永年の風雪に耐えて現存する土塀です。弓を射るための四角い矢狭間(はざま)と、鉄砲を撃つ丸い筒狭間がある。
現在、一般的に備中松山城として認識されているのは、標高430mの小松山にある
近世城郭部分であり、ここは中世城郭であったお城を、近世城郭に改築したもの。
ここには、天守をはじめ、二重櫓や土塀の一部が現存している。
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| 三の平櫓跡 |
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| 二ノ丸石垣(南側) |
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二ノ丸石垣は野面積である。城内で最も古い石垣である。
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本丸 |
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| 城主のさんじゅーろ |
二ノ丸より撮影 |
二の丸からは天守や本丸の風景が見える。
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さんじゅーろー |
西側に建物があるため外からは3階建てに見える。
二層二階の典型的な山城。三層見えるようにデザインされている。
籠城戦(ろうじょうせん)を想定し囲炉裏(いろり)や装束の間(しょうぞくのま)が
設けられており、二階には御社檀(神棚)があるのが特徴
天守は、建物自体は11mと現存天守の中では最も高さの低い天守。天守は
自然の岩を削りだして台とした上に、石垣で天守台を造り、
その上に建物が築かれているので、実際に見るとそれほど小さくは感じない。
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| 天守(二重櫓側から)) |
狭間からの眺め |
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八の平櫓跡 |
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| 階段が急 |
御社壇(神棚) |
天和3(1683)年、当時の城主だった水谷勝宗(みずのやかつむね)が
城の修築にあたって勧請した御社壇(ごしゃだん)。藩の守護として三振の
宝剣の他に天照皇大神や羽黒大権現など10の神々を安置し、安康を祈った。
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| 天守展望 |
連子窓 |
正方形の角材の角が外側に向けて並べられた連子窓(れんじまど)。
外からは城内が見えにくく、内からは広角に敵兵の動きを見ることができる窓。
別名は武者窓。
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| 装束の間入り口 |
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天守1階の「装束の間」は籠城時の城主の居室で、落城時には城主一家の死に場所ともなる部屋。
床下に石を入れて隙間をなくし、忍者も侵入できないように工夫されている。
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天守と本丸石垣 |
本丸を出て、二の丸の東側を進んでゆくと、素晴らしい石垣と土塀が現れる。
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| モミジの落ち葉道 |
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| 二重櫓 |
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二重櫓は、天守の後方に建つ二重二階の櫓で、水谷勝宗(みずのやかつむね)による
修築(1681〜83)の際に建てられたものと思われる。大棟には鯱(しゃちほこ)、
破風には梅鉢懸魚があり、連子窓は漆喰塗になっているとのこと。