備中高松城 

2025年11月26日

   
 ANA 羽田搭乗口 

城や古墳巡りで、岡山まで行く。羽田発7:45で、岡山着9:05のANAに乗る。

   
 走る馬(羽田空港)  

備中高松城は、かつて深い堀と沼沢地に囲まれた毛利氏の堅固な要塞。
天下統一を目指す織田信長の命を受けた羽柴秀吉(豊臣秀吉)の
参謀・黒田官兵衛の奇策「水攻め」にあい、城主・清水宗治の自刃とともに落城。

   
 勢力図  高松城の水攻め

『備中高松城址資料館』には水攻めの資料などが展示されている。
秀吉の水攻めの最中に本能寺の変が起こり、まさに歴史の分岐点でもある。

   
資料館から外の眺め  あおさぎ 

もともと深い堀と沼沢地に囲まれた毛利氏の堅固な要塞だった高松城は、約2.7kmの堤防を築かれ、
その中に足守川の水を引き込まれ、湖の孤城となる。このままでは兵糧が尽き、城内の兵や
その家族は餓死してしまう。援軍に駆けつけた毛利氏側の武将、小早川隆景、吉川元春らも
孤立する備中高松城の状況を前に為す術もなかったという。
この戦略の最中の旧暦6月2日、明智光秀の謀反により織田信長は本能寺で自害.
3日、毛利方に向かう光秀の密使を捕らえた秀吉は信長の死を知る。
秀吉は信長落命を隠し、高松城主・清水宗治の切腹を条件に講和を結ぶよう説く。
6月4日、主家である毛利家と城兵5000人の命と引き換えに城主清水宗治は自刃し和睦が成立。

   
辞世の歌  宗治蓮 

「浮き世をば今こそ渡れもののふの名を高松の苔に残して」(清水宗治)

 宗治連
 昭和五十七年に岡山市が歴史公園造成計画によって沼の復元をいたしました。
 古来、本丸と二の丸の間(この地)に蓮池の地名が残されており、沼の復元によって自然に生えたものであります。
 星霜四百年、地下に眠っていた蓮が、再び、立派な花をつけ、城跡を訪れる方々の目を楽しませてくれることは、歴史の中のロマンがあり、水に守られ、水に散った城主・清水宗治公と蓮池との関連を追憶して去り難き感に打たれるものがあります。
昭和六十一年八月吉日健之
高松城跡保興会


   
  清水宗治の首塚 

秀吉は、毛利方に「3日中に和睦を結べば領土については譲歩する。宗治の首を
差し出せば、城兵を助ける」という条件を提示。この条件を聞いた宗治は、自分の命により
主君を安泰にし、部下の命を助けることができるのならば、自らの首など安いものだと述べ、
自害を決意する。戦の終わりが近づいていた。別れの宴を行った後、自らの城を取り囲む
水の上へと小舟に乗って漕ぎ出した宗治。船上で舞を踊り、美しい辞世の句を詠むと、
宗治は切腹。秀吉は宗治の最後を見届けると、武士の鑑として宗治を称賛し、礼をつくして葬ったという。