豊後竹田
2022年11月12日
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「たけた駅前ホステルcue |
竹田温泉「花水月」 |
研修が終わって、豊後竹田駅に行く。岡城に行った後、本日の宿泊先である
「たけた駅前ホステルcue」で宿泊の手続きをする。築80年を越える古民家を
リノベーションした宿。近くに温泉があるというので、割引券を購入して、お風呂に行く。
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竹田温泉「花水月」 |
丸福食堂で夕食 |
近くにはコンビニはないし、宿泊先にはテレビもない。
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たけた駅前ホステルcue |
たけた駅前ホステルcue |
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ラウンジスペース |
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夜はラウンジで、近くの酒屋さんで購入した日本酒を飲む。
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ベーカリーカフェ〈かどぱん〉 |
朝食 |
朝食はスタッフのまりさんが用意をしてくれる。よく話を聞いていくと、地元の人で、竹田高校出身である。
一緒に朝食を食べた人も竹田高校出身で、昨夜は同窓会でこちらで宿泊したとのこと。
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広瀬神社 |
広瀬神社境内の紅葉 |
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竹田の町が一望できる。 |
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広瀬神社の境内から竹田市内の街並みを望む。
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切支丹洞窟礼拝堂跡 |
祭壇 |
ドーム状になった礼拝堂は高さ3.5メートル、奥行き、幅3メートル。約400年前に造られたとされ、
長崎の教会群よりも古く、現存するキリシタン礼拝堂の中で日本最古とも考えられている。
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武家屋敷通り(歴史の道) |
古田家仲門長屋門 説明版 |
漆喰の白壁と土塀、重厚な長屋門、武家屋敷が軒を連ねている「武家屋敷通り」となっている
長塀のお宅の前に説明版があったが、「古田家仲門長屋門」は、正しくは
「古田家中間(ちゅうげん)長屋門」であるらしい。ここは人が住んでいるらしい。
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山陰夜雪図 田能村竹田画 |
竹田創生館本館 |
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岡城址の模型 |
歴史文化館由学館 |
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竹田荘公園からの眺め |
豊後竹田駅方面 |
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竹田荘公園からの眺め |
岡城がみえる。 |
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歴史文化館由学館 |
旧竹田荘 |
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廉太郎トンネル |
トンネルを歩くと、滝廉太郎のメロディーが流れた。
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滝廉太郎記念館 |
豊音禅寺 |
瀧廉太郎が12歳から14歳の少年時代を過ごした屋敷は、現在記念館として、
直筆の楽譜や手紙、写真などを展示しているそうだ。時間がなさそうだったので入らず。
豊音寺(ほうおんじ)は岡藩時代から続く寺町の禅寺
幕末の嘉永三年(1850年)に建立された門は寺町でも最大級の門
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八幡山命水 |
十六羅漢 |
八幡山の「愛染堂」「子育て観音」「命水延命地蔵群」が、近年心豊かに生きる
信仰の場として整備された。元気に寝つかず楽しい老いを願う
八幡山三地蔵(「ぽっくり地蔵尊」「寝つかぬ地蔵尊」「ぼけない地蔵尊」)
愛染堂に向かう側面の崖には、ぽつぽつと十六羅漢像が配置されている。
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願成院本堂(愛染堂) |
願成院はもともと岡城西尾根に、2代藩主・中川久盛が1618年岡藩の祈祷所
として開創した密教寺院で、藩内の安全及び蕃の繁栄を祈願していた。
一方、中川久盛が1635年日光東照宮造営の一員としての役目を終えて
帰蕃する際、飛騨の工匠を連れ帰り八幡山の大勝院に愛染堂を建立したのが
現在の愛染堂である。明治時代に大勝院は廃寺となり、また岡城も廃城となったので
願成院は八幡山に移り、愛染堂を本堂に大日如来を本尊として再出発している。
今日の願成院は隣接する観音寺が維持管理し、住職も兼務している。
願成院(がんじょういん)の本堂である愛染堂は、竹田市で最も古い木造建築物
寛永12年(1635)、二代藩主中川久盛(ひさもり)により建立。
通常は愛染堂の内部に入ることはできないが、この日は団体が入っていて、
なんとなく紛れて入ることができ、説明を聞いた。
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円通閣(幸門) |
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竹田キリシタン資料館 |
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落門の滝 |
台地を流れる城原井路の終点が下木にあり、豊後竹田駅の
北側の高さ40m余りの断崖から流れ落ちている。
豊後竹田駅の駅舎は岡城を模している。駅裏の崖には滝が流れている
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豊後竹田駅 瀧廉太郎胸像 |
地域クーポン |
宿泊先「たけた駅前ホステルcue」で、ワクチン接種届を見せて、
地域クークーポンをいただいた。