2004年6月9日
大菩薩峠は、山梨県甲州市(旧塩山市)と北都留郡小菅村の境にある峠である。
大菩薩峠に、小菅村にある赤沢登山口から登り、
牛寝通りを経て、大菩薩嶺に至り、往復した。
天気は梅雨時で、ほとんど曇っていて、雲の中を歩くが、緑の森林浴がたっぷりできた。
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当日の行程
登山口 10:15 フルコンパ 11:15 大菩薩峠 12:30〜12:45 大菩薩嶺 13:30 大菩薩峠 14:05 フルコンパ 14:35 登山口 15:35 |
大菩薩峠
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小菅村の林道の道標
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赤沢登山口入り口
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小菅中学の道標が、入り口過ぎから大菩薩峠まで、22から1まであり、この番号を
目安に登っていく。登山道はガスっていた。
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フルコンパも雲に包まれていて、展望はほとんどありませんでした。時々雲が流れて、
山が少し見えたりしました。近くには黄色や白の花がこっそりと咲いていました。
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フルコンパ小屋跡の道標
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ニワタシバの標識のあるところは昔無言貿易が行われた所だそうである。
実際にはフルコンバ小屋のあたりにその荷渡し場があったといわれている。
昔は日常物資を大菩薩峠を越えて運ばれていたということである。
塩山側の萩原から丹波、小菅まで行ったのでは1日では帰れないので
途中に荷を置いて戻ったようである。萩原側から米、酒、塩などは
背負い易いように一定の量に工夫されて運ばれたようである。
見返りに丹波、小菅側からは木炭、こんにゃく、経木などが運ばれたとのことである。
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ニワタシバの標識
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介山荘がみえる。(峠を越えた所から)
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私が歩いた小菅側の赤沢から大菩薩峠までの往復道では誰も会わなかった。
このコースは長く、森林の中を歩き、展望もあまりないため、歩く人は少ないのかもしれない。
塩山側から登る人が多いようで、大菩薩峠から大菩薩嶺までは、
塩山側からのコースから歩いてきた人たちで何人かの人や団体に会った。
峠の山小屋「介山荘」は尾根を通る道をはさむ形でその両側に建物があり、
両方でみやげ物がいっぱい並んでいた。
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中里介山文学碑
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賽の河原のガレ場の積み上げ
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大菩薩峠の名前の由来について中里介山は次のように記している。
「貴き聖(ひじり)が、この嶺の頂に立って、東に落つる水も清かれ、西に落つる水も清かれと祈って、菩薩の像を埋めて置いた、それから東に落つる水は多摩川となり、西に流るるは笛吹川となり、いずれも流れの末永く人を湿おし田を実らすと申し伝えられてあります」
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賽の河原と避難小屋
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レンゲツツジ
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大菩薩峠から大菩薩嶺までは、晴れていたら展望が良い場所です。
この日は雲に囲まれ、雲が流れる景色も見ながら、歩く。
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標高2000m地点
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霧咽ぶ中を歩く
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大菩薩嶺は樹木に囲まれ、展望はない。
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大菩薩嶺
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フルコンパからの展望
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帰りは、「小菅の湯」に入る。