団地めぐり    

2008年9月15日

「たけおかネット」の企画で団地めぐりがあったので、参加した。

集合は11時30分に東武東上線 柳瀬川駅である。

参加者は7名で、さらに夜の部で、2人合流した。

コースは、柳瀬川駅の志木ニュータウンから清瀬に移り、旭が丘団地、

新宿の戸山ハイツ団地をめぐった。団地としては先駆的な取り組みをそれぞれしているが、

気になったのは、休日だというのにどこの団地も人の気配が少なく、静かであった。

古い団地の高齢化は確実に進んでいると思われる。

志木ニュータウン

柳瀬川駅
志木ニュータウンの説明

志木ニュータウンは、1971年に民間企業(鹿島)が住宅地開発をスタートさせた。用地買収、

土地造成、配置計画から雪渓、施工、分譲売買に至るまで大規模なプロジェクトを投入して、

17年の歳月をかけ、1988年、開発総面積35万u、総個数3021戸の団地が誕生した。

まさに一つの街が誕生したのである。

この志木ニュータウン開発から、鹿島は不動産開発事業に本格参入することとなる。

団地内には、志木第四小学校と志木第二小学校の2校があり、

中学は志木第二中学校の1校とで、全3校の学校が建っている。

シャッター商店街
ハイカラ横丁入口

団地の入口に商店街があり、日曜の昼間というのに店にシャッターが下りている。

奥に入っていくと、昭和をテーマにしたレトロな店「ハイカラ横丁」があって、中に入ってみた。

ハイカラ横丁の中の駄菓子屋
懐かしい品が並ぶ

子どもの頃の駄菓子やおもちゃ等が並び、懐かしい山口百恵の写真が飾ってあったりした。

団地のシンボルの建物
何本も枝分かれている樹木

ここの団地は柳瀬川が近くにあり、氾濫をさけるためか、一階の部分も階段を昇って入ることになっている。

エレベーターに昇るにしても、まず階段を昇ってからである。

現在、バリアフリーが叫ばれているので、入居者も高齢化してきているので、階段は大丈夫なのか思ってしまう。

一階でも階段がある
鉢の土捨て場

売り出し中の物件があり、中に入ってみた。不動産屋さんの説明だと、これだけ大きい団地だと

修繕積立金も多額に集まり、修繕がよくされ、整備されやすいとのこと。中も案内され、リフォームされ、

きれいであったし、昔、作られた割には、広さを感じた。駅に近いかどうかとかエレベーターがあるかどうかで

値段も違ってくると説明をしていた。中の給湯器もリフォームで木目のドアで隠されたり、壁のデザインなども

工夫はされていた。床が揺れるように感じたのは防音効果もあったのかもしれない。

比較的便がよく、安いためか、親子世帯で、別々に2箇所にここの分譲に住んでいる方も多いとのこと。

黄色い幟のあるところが売り出し中
新座団地給水場(高架水槽)

新座駅方向に歩いていると、給水場もあった。高架水槽だとのこと。

高架水槽とは ビルやマンションなどの中高層の建物で、屋上などに設置する水をためる容器のこと.

中高層建築物では、一度に大量の水を利用したり、水道本管の水圧だけでは不十分になることがあるので、

本管から受水槽に水を受け、ポンプで高架水槽に水をあげて高架水槽から給水を行う。

志木ニュータウンから志木駅の方向に歩いていくと、いろいろなものが目に入ってきた。

下駄履き長屋のシャッター商店街
りんごの木

プールサイド看板 どうしたらいいの?
保育園、ディサービスセンターなどが隣接した施設



旭が丘団地(清瀬)/現UR都市機構(旧住宅公団)

旭が丘団地入口の診療所
シャッター商店街の街並み

清瀬市でも一番先端の埼玉よりにあるのが旭が丘団地。ここも高齢化が進んでいるとのこと。

団地入口に診療所があったり、集会室では高齢者が集まって、囲碁をして集ったりしていた。

団地をはさんだ間の下に関越自動車道が走っており、上はコンクリートで、空き地になっている。

曲線になっている街路
リニューアル実験モデル住戸のある団地

清瀬旭が丘団地の最北端の棟(旧職員専用棟)では、リニューアル実験モデル住戸があった。

この団地は駅からは距離があり、バスに乗り、志木駅に向かう。

実験モデル住戸の玄関
東武新都心線の新型の車内

追記
2016年5月公開の映画「海よりまだ深く」の舞台になったのが、旭が丘団地である。
是枝監督が9歳から28歳まで実際に住んでいた団地である。
是枝監督は、「なりたいものになれなかったのは団地も同じなんですよね」と話す。
かって憧れの集合住宅として全国に建てられた団地が、老朽化と住人の高齢化といった
問題を抱えるようになり、今や当初のイメージと異なる状況に直面している。
このような団地のたたずまいをなりたいものになれなかった登場人物たちの
せつなさと重ね合わせているかのようである。
この団地はどの駅からも遠く、劇中でも団地の生き返りはバスで
池袋線清瀬駅を利用している。確かに交通の便はよくない。
しかし、映画を見ていると、何か郷愁を感じるのである。


戸山団地(都営団地

団地のシャッター商店街
箱根山

志木駅から東上線で新都心線にのり、西早稲田で下車して、戸山ハイツ団地に向かった。

ちょうど新都心線は最新鋭の列車であったので、鉄道に詳しい人の説明を聞きながら乗った。

戸山地区は地区で分かれており、戸山団地(百人町4)や戸山ハイツ(戸山2)などがあり、

高齢化の状況が進んでいる。戸山団地では、新聞記事になったように、65歳以上の住民が

半数を超える「限界集落」が出現したとニュースになった場所である。実際に孤独死もでている。

戸山団地や戸山ハイツ団地には今回の案内人の被後見人さんもいらっしゃるとのことである。

私達は戸山ハイツ団地を歩いて、戸山公園にある新宿区で一番高い山である箱根山(44.6m)に登った。

もともと「戸山ハイツ」と言えば,米軍の兵舎払い下げ資材で昭和24(1949)年に建てられて

約1000戸の都営木造アパートで都内の団地の元祖ともいわれたとのこと。

今は昭和45年から鉄筋コンクリート造りに建て替えられたものであるといわれる。

さすがに、団地が3箇所目となると、団地の写真がなくなっていた。

箱根山に登ると、あたりはうっそうと緑が生い茂って、何も見えない。昔は展望がよかったのだが、

樹木が大きくなって、展望が見えなくなった様子。冬だと少しは見えるのかな。

箱根山には陸軍学校時代の銃弾が多数埋まっているといわれている。

戸山公園は、明治通りで、箱根山地区と、大久保地区の東西に分けられる公園である。

この団地も年数がたっているため、樹木が生長し、大きくなっていた。他の団地よりは、人を見かけた。

それにしても、どこの団地に行っても、店舗にシャッターがしまっているのには驚く。

公園には、学生らしい青年男女がブルーシートを敷いて、たくさん集っていたのは目に付いた。

箱根山の頂上
オムニ食堂

戸山ハイツ団地の樹木がある静けさから出ると、そこはまた別世界の新宿大久保の

喧騒の様相を示す。新大久保のコリアタウン街の韓国料理店「オムニ食堂」で打ち上げを行う。

韓国料理に巻き物も注文
韓国系の酒やどぶろくも飲む

広島の尾道からいらっしゃった方も途中から加わり、宴が盛り上がる。

百歳酒の広告
店内

韓国料理店から出て、帰ろうとしたら、立ち飲みやがあって、女性一人ではなかなか入れなくて、

ためしにみんなで入ってみたいという声があがって、ちょっとだけ立ち寄るといいながら、結構、

長い時間しゃべりながら飲んでいた。今回の団地めぐりもよく歩き、よく学び、よく飲んだ。

立ち飲み屋でいっぱい
新大久保駅に向かう