ダブルファンタジー 

2021年1月23日

   
  ジョンとヨーコの略歴 

東京・ソニーミュージック六本木ミュージアムで、ジョン・レノンとオノ・ヨーコの
軌跡を彼ら自身の言葉や作品で辿る展覧会「“ダブル・ファンタジー ジョン&ヨーコ
(DOUBLE FANTASY - John & Yoko)”東京展」が開催されていたので、観に行ってきた。
9000キロもの離れた距離を持つリバプールと東京で生まれた2人の、
出会いから悲しい別れまでを年代順に展示している。

   
   

ジョンとヨーコは、自身の知名度と影響力を駆使して世界中で平和と
人権のための斬新なキャンペーンを展開し(ベッド・イン、WAR IS OVER!
(if you want it)など)、自分たちの生き方のみでなくアート、音楽、
行動主義のあり方を変えていく。二人がその愛を通して訴えた
平和や人権への本質的・普遍的メッセージは今なお響いてくる。
ヨーコのメッセージ
”ひとりでみる夢はただの夢、一緒にみる夢は 現実になる”

   
 「天井の絵」の再現。  「白いチェス・セット」と「You Are Here」

1966年11月7日、ジョンは友人に誘われ、ヨーコの個展
「Unfinished Paintings and Objects(未完成の絵画とオブジェ)」を訪れる。
当時、前衛芸術に懐疑的だったというジョンだが、
今回展示されている「天井の絵」(脚立を登って、虫眼鏡で天井の絵を見る作品)
を観、天井に小さく“YES”と肯定的な言葉があったことにほっとし、
温かい気持ちになったという。また、「釘を打つための絵」では、
オープン前の真っ白なキャンパスに釘を打つには、
5シリングが必要というヨーコに、”想像の5シリングを
渡すから、想像で釘を打って良いか”と尋ねた、というエピソードも残っている。

   
 見つめあうジョンとヨーコの眼鏡  

   
 裏ジャケットに使われた写真  

ジョン・レノンとオノ・ヨーコの全裸のジャケットが物議を醸した
『トゥー・ヴァージンズ』がリリースされたのは1968年である。

   
   

   
2人はジブラルタルで結婚式を挙げる   

   
   

1969年3月20日、ジブラルタルで結婚式を挙げたジョンとヨーコは、その5日後、
アムステルダムのホテルで世界平和のためのパフォーマンス、
「ベッド・イン」を行う。当時ベトナム戦争などアメリカ・ヨーロッパでの
社会不安を背景に、自分たちに注目が集まるこのタイミングでホテルを
訪れる記者らの人々に愛とユーモアを持って平和を訴え、
それを広めることが目的だった。1969年6月、モントリオールでの2回目の
ベッド・インでは「平和を我等に(Give Peace A Chance)」/Plastic Ono Bandの
レコーディングも行われている。

   
「ベッドピース」「ヘアピース」   

   
ジョンレノンバッグワン   

1969年にはジョン・レノン/プラスチック・オノ・バンド名義の活動がスタートしている。

   
ベッドインの際に使用したジョンのギター   

貴重資料の中には、平和活動「ベッド・イン(Bed In)」に用いられた、
ギターやメッセージ・ボードなどのアイテムも登場。アメリカに移住を
決めてから5年の戦いを経て1976年に取得したグリーン・カードや、
「Imagine」など今なお愛される名曲たちを綴った、ジョン手描きの歌詞なども紹介される。

   
   

1970年、ザ・ビートルズは正式に解散することが発表された。

   
   

   
 「イマジン」手書きの歌詞  “NEW YORK CITY”Tシャツの実物

   
「WAR IS OVER」  「パワートゥザピープル」(ジョンレノン)
「オープンユアボックス」 (オノヨーコ)

二人が共作したコンセプト・アート作品:「WAR IS OVER!(if you want it)」
,「Plastic Ono Band」や二人の初めての共同作品である「Acorn Peace
(平和のどんぐり)」ベトナム戦争の収束がみえない中、1969年12月二人は
「WAR IS OVER! (if you want it)」というメッセージを世界12都市の
広告ビルボードやポスター、新聞に掲載するキャンペーンを行った。
これは71年の「Happy Xmas(War Is Over)」へと繋がっていく。

   
   

   
   ジョンのアメリカ軍シャツ

   
失われた過去   

1973年、ジョンとヨーコの関係に問題が生じ、18か月間の別居生活を
送ることになる。後に「失われた週末」と呼ばれる期間である。

   
飲み仲間の通称「ハリウッドの吸血鬼たち」  1974年発表『心の壁、愛の橋』にまつわる品々。 

   
  『ダブル・ファンタジー』で使用したSardonyx製ギター  

   
二人の私服  ジョン、ヨーコ、ショーン 1979年 軽井沢にて 

   
ショーンの抱っこ紐   イマジンシアター

1975年10月9日、ジョンの誕生日と同じ日にショーンが生まれる。
ジョンはショーンの誕生をきっかけに音楽活動を休止し当時としては
非常に珍しい“主夫”としてショーンの子育てに専念する。そんなジョンの
「主夫」時代のプライベートな素顔が垣間見える微笑ましいアイテムが多数。
会場には映像を観ることのできる「イマジン・シアター」もあった。

   
   

ジョンが日本語を理解し学ぶためにローマ字とイラストで日本語の
単語や表現を綴った日本語練習帳とも言えるスケッチ・ブックの
オリジナル原画。日本初公開となる「KAZOKU(家族)」「SABI(寂び)」
「AMAI、SUPPAI、SHOPPAI、KARAI、NIGAI(甘い、酸っぱい、しょっぱい、
辛い、苦い)」などを含む、遊び心に溢れたジョンの人柄に触れられる直筆のイラスト。

   
“AMAI, SUPPAI, SHOPPAI, KARAI, NIGAI”   

   
   

   
 「ローリングストーン」誌の表紙撮影  

   
「ストロベリー・フィールズ」を再現  「Imagine」の円形モザイク 

1985年10月9日、ニューヨークのセントラル・パーク内に、ジョンを偲ぶ
記念エリア「ストロベリー・フィールズ」が“平和の庭(Garden of Peace)”として
正式に誕生した。展覧会の最後は、そのストロベリー・フィールズの
中心にある「Imagine」の円形モザイクを再現。

   
銃規制ポスター   

   
  ヨーコのポルシェのサングラス 

ジョン・レノンが亡くなった1980年12月8日にレコーディングした
“Walking on Thin Ice”は1981年にリリースされている。

   
「平和のドングリ」パンフレット   

   
   インタラクティヴ・エリア

   
「羊飼いと風船」  「ニューヨーク親切なロシア料理店」 

六本木で「ダブルファンタシー」展を見た後、日比谷線で六本木から
銀座まで地下鉄に乗る。シネスイッチ銀座で映画2本見る。
「羊飼いと風船」は、上映後、監督とのトークショーがオンラインで行われた。