恵比寿 

2017年7月16日

恵比寿駅で下りて、山種美術館と東京写真美術館に行った。

   
 恵比寿駅の恵比寿像  山種美術館入口 


   
 真珠  真珠

山種美術館では、川端龍子展を開催していた。「真珠」という絵のみ写真撮影が許されていた。

川端龍子展の案内 恵比寿プライムスクエアビル

川端龍子展の案内文より
「健剛なる芸術」の創造を唱え、大衆に訴える作品を描き続けた日本画家・川端龍子(1885-1966)。
洋画から日本画への転向や院展脱退、絵画団体「青龍社」の樹立、規格外の大画面制作など、
従来の枠組みを破るため常に挑戦を続けました。迫力に満ち、スケールの大きな龍子作品は、
発表当時「昭和の狩野永徳」とも評されています。このたび、山種美術館では、龍子の没後50年を
経たことを記念し、初期から晩年にかけての名だたる代表作を取り揃え、その画業を振り返る特別展を開催いたします。
1885(明治18)年、和歌山で生まれた龍子は上京した後、当初は洋画家を目指し文展に入選を果たしました。
20代で新聞や雑誌の挿絵画家として職を得たことにより、龍子芸術の特徴の一つでもある、同時代の世相を
俯瞰的に見るジャーナリズム性を習得します。やがて洋画修業のため渡米するものの、帰国後間もなく
日本画家へと転向しました。
その後、独学で日本画を学んだ龍子は、30歳で再興院展に初入選、2年後には同人へ推挙されます。
しかしながら、当時、繊細巧緻な画風が主流であった院展において、大胆な発想と筆致で構成された大画面の
龍子の作品は「会場芸術」と批判されたことや院展内の軋轢もあり、脱退にいたります。そして、1929(昭和4)年、
自ら主宰する「青龍社」を創立、戦時中も展覧会を開催するなど精力的な活動のなか、一貫して
大衆のための作品を発表し続けました。
本展では、画業の初期にあたる洋画や挿絵画家期の資料、院展時代の作品、また青龍展第1回展に出品され
記念碑的な《鳴門》(山種美術館)と《請雨曼荼羅》(大田区立龍子記念館)、さらに平安時代の装飾経をヒントに
龍子の機知と技術が結集した《草の実》(大田区立龍子記念館)、ジャーナリズム精神の発露といえる
《爆弾散華》(大田区立龍子記念館)、《金閣炎上》(東京国立近代美術館)、そして会場芸術の象徴ともいえる
横幅7.2メートル超の大作《香炉峰》など一堂に展示します。また、『ホトトギス』同人でもあった龍子が
1日1句作り続けた俳句に関わる作品や、小さな子どもや家族を慈しむ姿がうかがえる作品もあわせ、
真摯で柔和な龍子の内面性が表れた初公開の作品資料類をご紹介します。
大正から昭和の日本画壇において既存の概念を打ち破ろうと強靭な意志を抱き、在野の雄として
生涯描き続けた川端龍子の全貌を、12年ぶりとなるこの回顧展でご覧いただきます。

   
東京都写真美術館  ロベール・ドアノーのパリ市庁舎前のキス 

東京都写真美術館では世界報道写真展を開催していた。
入口近くの壁には植田正治の妻のいる砂丘風景やロバートキャパのノルマンディー上陸作戦の写真
ロベール・ドアノーのパリ市庁舎前のキスの写真が飾られていた。

   
ロバートキャパのノルマンディー上陸作戦   植田正治の妻のいる砂丘風景

   
 世界報道写真展 泉岳寺 

世界報道写真展の案内文より
毎年、世界中の約100会場で開催される世界最大規模の写真展「世界報道写真展」は60回目を迎えます。
今年は125の国と地域から5,034人のフォトグラファーが参加し、80,408点の応募がありました。大賞などを含め、
受賞作品を紹介する「世界報道写真展2017」を6月10日より東京都写真美術館で開催します。
今年は、8つの部門25カ国から45人が受賞しました。大賞は、トルコのブルハン・オズビリジ氏の作品です。
トルコの首都・アンカラで開かれた写真展で、現地の警察官が駐トルコ・ロシア大使を射殺した事件を捉えています。 
マグナス・ウェンマンはイスラム国(IS)の恐怖と食糧難によってやむなく郷里を去り、避難民キャンプで
過ごさざる を得ないこどもの姿を撮影しています。こどもが夢や希望をなくす姿を静かに伝え、人々の部で
単写真1位を受賞して います。このほか、リオデジャネイロ・オリンピックの決定的瞬間をとらえた作品や
漁具により生命が脅かされるウミガメ の姿など、世界の現状を伝える写真が並びます。紛争、環境問題、
スポーツの決定的瞬間から日常的な場面に至るまで、 普段目にすることがない、
世界の「いま」を見ることができる貴重な機会です。

世界報道写真展を見た後、恵比寿駅から山手線で品川駅で下り、京浜急行で
泉岳寺駅に向かい、義父母のお墓参りをしてきた。