江川邸 

2017年6月9日

職員旅行で、昼食で代官屋敷のそば御膳を食べ、少し時間があり、江川邸(韮山役所跡)
に入った。江川邸は、伊豆の国市韮山にあり、関東一円を治めていた代官屋敷である。
主屋、蔵、門、塀などの建物や、保有する古文書などの資料は、国の重要文化財になっている。

国指定跡「韮山役所」の中にあり、国指定重要文化財
主屋は単層入母屋造りの壮大な建物で、「小屋組づくり」と呼ばれる幾何学的な屋根裏の木組みは、
今日でいう 免震構造になっています。三和土の土間には立ち木をそのまま柱にしたと伝えられる「生き柱」や、
日蓮直筆の「火伏せの護符」を納めた棟札箱が見られます。 これまで一度も火災にあっていないことから、
文書類・書画・武具を始めとする様々な品が残っており、その一部は屋内に展示されています。
江 川家は42代・900年続く大和源氏の末裔で、江戸時代には旗本として11代273年間、天領伊豆の代官を務めました。
歴代の代官はいずれも治安維持と民 政に意を注ぎ、百姓一揆は一度も起きていません。特に
36代江川太郎左衛門(坦庵)は名代官として知られ、海防の必要性から沿岸測量、韮山反射炉やお台場
の建設、わが国最初の様式帆船建造や種痘の実施、パン製造など多大な業績を残しました。
邸内には「パン祖の碑」が立てられています。
(伊豆の国市観光協会)

   
「生き柱」  天井 

旧江川邸は、代々韮山代官を世襲し、江戸時代を通じて代々この地の代官を勤めた江川家の住宅。
母屋や蔵などが公開されている。母屋の土間の柱と梁、天井は見所。
屋根裏の一番高いところには、日蓮上人直筆の「火伏せの護符」が納められた木箱がある。
木箱は暗いところにあるので、江川邸内にいるガイドの方が、懐中電灯で照らし教えてくれた。

   
   

代官は徳川家康に仕えた28代「江川英長」からはじまり、38代江川英武の明治頃まで続いた。
世襲制の代官は珍しく、代々「太郎左衛門」を襲名している。
戦国時代には後北条氏に仕え、さらに豊臣政権時代には徳川家康に仕え、慶長元(1596)年に代官となり
幕末までその職を世襲したと日本城郭大系に説明されている。

   
   

墨の字はすべて消えてしまっているのだけれど、まるで版木のように文字が浮き出ている。
説明していただくと、墨の中には防腐剤のような成分が入っているので、文字のところだけ
板が腐食せず、浮き出るように残ったのではないかとのことである。

支配地である下田などの伊豆沿岸が外国船の脅威にさらされると感じた第36代当主の江川英龍は、
自ら長崎に出向いて西洋砲術の第一人者だった高島秋帆に弟子入りし、そのノウハウを
持ち帰ってここに韮山塾を開き、東日本にいた志士たちに砲術を始動した。

   
 韮山塾  

江川邸はこれまで一度も火災にあっていないことから、数多くの文書類や書画、
武具などが残存しており、その一部は室内に展示されていた。
佐久間象山、大山巌、桂小五郎、橋本左内、黒田清隆など、のちに幕末・明治維新を彩る
数々の英傑たちが集って江川英龍から教えを受けた。

   
  西倉