東京都美術館 

2023年3月18日


   
 上野 案内板  

新宿で、映画『ザ・サン(原題) / The Son』を見て、
午後、「エゴンシーレ展が開かれていたので、東京都美術館まで行く。

エゴンシーレ 人間の内面をえぐる強烈な表現力 
世紀末を経て芸術の爛熟期を迎えたウィーンで活躍した画家。わずか28年という
短い生涯の間に鮮烈な表現主義的作品を残し、美術の歴史に名を刻んだ。
最年少でウィーンの美術学校に入学も保守的な教育に満足できず、
退学して新たな芸術集団を立ち上げる。当時の常識にとらわれない創作が
社会の理解を得られずに逮捕されるなど、孤独と苦悩を抱えながら、
ときに暴力的なまでの表現で人間の内面や性を生々しく描き出した。 


   
シーレ 16歳  吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木) 

本展は全14章で、シーレを軸にオーストリアを代表する同時代の画家の作品が
約120点展示。そのうちシーレの作品は、油彩やドローイングを含め50点が来日。
吹き荒れる風の中の秋の木(冬の木)内面を表現した風景画として、
エゴン・シーレの傑作の一つ。割れた灰色の空に枯れた木が描かれている。

   
  ワッハウ渓谷 

風景画のコーナーだけ撮影許可が出ていた。

   
モルダウ湖畔のクルマウ   

モルダウ湖畔のクルマウ 
 個性的な人物画で知られるシーレだが、実は彼の全作品に占める風景画の比重は決して小さくない。クルマウ(現チェコのチェスキー・クルムロフ)は、シーレの母親の故郷であり、彼自身も何度か訪れた町である。本作では高い視点から、家々がひしめく町全体が平面的にとらえられている。小さな窓やアーチのある壁に、帽子のような屋根を頂く家並みは、中世の風景を思わせる風情がある。シーレの風景は押しなべて静謐で、暗い色調の作品が多いなか、本作は構図や色彩にリズムがあり、おとぎの国のような雰囲気が漂う


   
   

   
  すべての芸術家は
詩人でなければならない 。

1915 年、シーレはモデルでありパートナーとして共に歩んできた
ワリー・ノイツェルと別れ、家柄の良さを主な理由に中流階級のエーディト・ハームス
と結婚。この頃より表現主義的な作風から離れるようになり、エーディトを
描いた作品にもそれまでの強い挑発や、不穏といった雰囲気は感じられなくなる。
結婚してすぐシーレは第一次世界大戦に招集されるが、前線配属を
免れたこともあり、兵役中も制作を続けた。そうした活動の末、1918年の
第49回分離派展にて経済的な大成功を収めるも、その年の10月にスペイン風邪に
罹患。妊娠中の妻エーディトが他界した3日後に、シーレも息を引き取る。この時28歳

   
   

「戦争が終わったのだから、僕は行かねばならない。
僕の絵は世界中の美術館に展示されるだろう」
エゴン・シーレはウィーン美術学校を1906 年に受験して一発合格する。
その翌年、一才年下のアドルフ・ヒトラーが同じウィーン美術学校を
受験するが不合格になり、一浪した翌年も不合格になる。ヒトラーは
古い建物を描いた風景画が得意だったが、人物デッサンは
まったく下手で、提出した課題デッサンで不合格になった。