玄蕃尾城 

2023年8月12日

   
 余呉駅  田園風景

前日、愛知の実家に泊まり、名古屋から特急券を敦賀まで購入していたが、
玄蕃尾城に行くには、余呉から自転車を借りたほうが良いと思い、名古屋駅で
特急券の変更が一回だけ可能であるということで、長浜までに変更する。
長浜から普通電車に乗車。余呉駅を降りたら、田園風景が広がっていた。
一日千円の電動自転車を借りる。余呉駅で続百名城のスタンプを押す。
柳瀬トンネルからは自転車は通れないとのこと。柳ケ瀬までの道路は穏やかな
上り坂が続いていた。柳ヶ瀬集落を示す標識を目印に脇道に入った。

   
 玄蕃尾城入り口標示 あと500mの標示 

玄蕃尾城は、車で行くと便利だが、公共交通機関で行くときつい。
玄蕃尾城入り口で自転車を置く。いわゆる滋賀県側の柳ヶ瀬から「刀根越え」を行った。

   
虎口入り口200m   玄蕃尾城跡まで、0.5km

   
南虎口(大手口)   東虎口(攻撃用大手口)

玄蕃尾城は、柴田勝家が「賤ヶ岳の戦い」の際に本陣とした陣城。
現在城址には枡形虎口をはじめ、曲輪や土塁、馬出、空堀、櫓台など多くの
遺構が非常に良好な状態で残っており、織豊期の縄張りを完全に残す貴重な城郭である。

   
虎口廓 攻撃用大手郭(出撃拠点)   主格 本丸(司令所)


 山域の構造
 基本構造は南北に並んだ主要な4つの郭であり、土橋で連結され、その広がりは南北約250m、東西約150mに及ぶ。すべての郭を高土塁で囲み、主要な部分は土塁と空堀の多重防御を施している。また、主郭には2つの馬出郭、1つの張出郭が備わっており、腰郭も近傍に位置する。主郭の北東隅には、方形の一段高くなった箇所があり、櫓もしくは天守のような建造物があったと推定される。主郭部の南側には、食い違いや曲がった隘路を設けた虎口郭が2つ直列しており、刀根越からの敵を迎え撃つ造りとなっている。主郭部北側の搦手の郭は最大の広さを持ち、兵糧などの物資や兵の駐屯のためのスペースであったと考えられる。全体として完成度が高く、山城の最高水準の到達点の一つであるといえる。


   
 櫓台(天守台)  馬出(主郭の虎口部)

   
  玄蕃尾城跡要図 

羽柴(豊臣)秀吉と柴田勝家が戦った「賤ケ岳の戦い」で勝家が本陣を置いた山城が、
福井県敦賀市刀根と滋賀県長浜市の県境にある内中尾山の尾根に築かれた
玄蕃尾城(げんばおじょう)だ。勝家が城で戦わずに撤退したため、やぐら跡や
空堀など当時の遺構が良好な状態で残り、歴史上でも名高い戦いを今に伝える。
本能寺の変で織田信長が討たれた後、勝家は織田家の跡目争いに絡んで
秀吉と対立。天正11(1583)年の賤ケ岳の戦いで敗れ、妻のお市の方とともに
北庄城で自害した。築城した勝家の家臣の佐久間玄蕃允盛政
(さくまげんばのじょうもりまさ)にちなみ、玄蕃尾城と呼ばれるようになったと言われる。

   
電動自転車  さんとく三太郎の鹿カレー )

自転車出余呉駅までの道を戻る。下りが続いていたので、楽である。
行きは、きついと思ったが、こんなに上りが続いていたとは思わなかった。
途中で、さんとく三太郎という店があったので、鹿カレーを食べた。

   
中之郷駅標のレプリカ  余呉駅から余呉湖を望む

中之郷駅は、滋賀福井県境を越えるいわゆる「柳ヶ瀬越え」という
難所の区間で、深坂トンネルの開通により支線へ降格、後に廃線となる。
余呉駅から約2キロ離れた余呉町役場の前の国道365号線沿いに旧ホームが残されている。
余呉町役場前にある小さな公園が,かつては急行も停車した中之郷駅のプラットホーム跡。
駅名が「中之郷」と表記されているが、正しい駅名は「中ノ郷」だそうだ。

   
  敦賀駅 

余呉駅から乗った電車が近江塩津駅までしか行かなかった。近江塩津駅で
接続した電車が敦賀まで行くと思っていたら、京都方面の湖西線だった。
次の永原駅で降りて、逆方向の敦賀駅行きの電車に乗ることができた。

   
敦賀駅  北陸新幹線 敦賀〜東京間開通まで232日 

敦賀駅で下りて、北陸本線に乗り、鯖江駅まで行く。
北陸新幹線は東京〜大阪までの整備計画が定められている整備新幹線。
1997年10月1日に高崎から長野までの117kmが、そして2015年3月14日に
長野から金沢までの240kmが開業。金沢から敦賀間の125km(工事区間:
白山車両基地〜敦賀間113km)について2023年度末の完成予定。
敦賀駅には、開通まで232日という表示があった。