八王子城   

2013年6月9日

八王子城に登った。子どもと大人合わせて、17名である。高尾駅で降りて、バスで霊園前まで乗り、歩き始める。

そしたら、休日はバスが、「八王子城跡」行きがあることが分かった。

   
北条氏照の墓  墓参り 

最初に、氏照の墓に寄る。氏照は小田原城下で切腹し、墓は小田原駅近くに残っているが、

ここの墓は分骨されたのではないかといわれている。

八王子城は16世紀末に、北条氏照が築いた山城である。

豊臣秀吉の関東制圧の一環で、1590年6月23日、前田利家、上杉景勝軍に攻められて落城。

これがきっかけで、本拠の小田原城は開城、北条氏は滅亡した。

ガイダンス施設が新しくできていたので、立ち寄る。ここで、八王子城の歴史を詳しく説明していただいて、

その後、子どたちたちは鎧を着させていただいて、記念写真を撮る。ここの2階で鎧つくりもしていた。

   
管理事務所前で説明を聞く  曳橋 

八王子城跡の管理事務所にも寄って、ガイドボランティアの方に、御主殿跡までガイドをしていただくことになった。

アシダ曲輪から大手道、曳橋を通って、虎口に出て、御主殿跡に出る。



   
石垣跡の説明を受ける。   虎口

曲輪とは土塁などで囲んで作られた平らな場所を言う。虎口とは、曲輪の出入り口を指す。

御主殿の虎口の登城路は進路が曲げられており、枡型のようになっている。

   
御主殿の跡  会所跡 
御主殿跡は、氏照の館などがあった場所とされている。落城後は、幕府直轄領や国有林で

あったので、当時のままで残っていた。発掘調査で、建物の磁石や水路跡、多数の遺物が出土している。

   
御主殿の滝  慰霊碑 

御主殿跡の近くに御主殿の滝があり、心霊スポットにもなっており、観に行ったが、最近、降水がなくて、

水が枯れていた。雨が多い時は、滝になるという説明であった。

御主殿の跡からは「殿の道」といわれている道を登る。結構急登である。

山王台に出ると、慰霊碑が立っていた。落城した際の戦死者をまつったものであるといわれる。

そこからまた直登するような道を登る。八王子神社に上る階段手前に出て、左に曲がると松木曲輪(二の丸)に出る。

松木曲輪は休憩所になっていたので、ここで昼食。食べ終わってから、本丸に登り、八王子神社に下りる。

 
八王子神社


下りは小宮曲輪の下の道から広がる眺望を眺めた後、金子曲輪の方に下りて行った。

管理事務所に14時頃に着く。

帰りは、「八王子城」のバス停からバスに乗ることにし、14時20分まで時間があったので、風船を作ってもらったり、

氏照人形の腹話術を披露してもらったりで、子どもたちは楽しみながら時間を待つことが出来た。