2015年9月23日
日比谷シャンテ(映画館)で、映画2本(「わたしに会うまでの1500キロ」「ヴィンセントが教えてくれたこと」)を見た後、
日比谷公園を歩き、国会議事堂まで行って、議事堂前駅から丸ノ内線に乗り、帰路に着く。
映画2本 | 日比谷シャンテ前 |
ゴジラ | ラコステ |
帝国ホテルの看板 | 大噴水 |
帝国ホテルの前を通り過ぎ、日比谷公園に入った。中に入り、すぐに大噴水があった。
かもめの噴水 | 脱原発テント |
国会議事堂の方に向かって歩いていると、脱原発テントという看板があり、何人か座っていた。
5年も続いているらしい。
国会議事堂 | 議事堂アップ |
国会議事堂前に、安保法案反対の人たちはいるかなと思ったが、休日だったので、静かだった。
実は、この日、原発も戦争もノーという集会が渋谷の代々木公園で開かれていたのを後で知る。
『わたしに会うまでの1600キロ』 (原題:Wild)
映画『わたしに会うまでの1600キロ』 (原題:Wild)を見た。シェリル・ストレイドのベストセラー作品が原作である。愛する母を突然失い、その喪失感から人生のどん底へと転落してしまったシェリル(リース・ウィザースプーン)が、トレーニングもせず、パシフィック・クレスト・トレイルという1,600キロもの砂漠と山道を徒歩で旅に挑み、母が愛してくれた本来の自分を取り戻すまでを描いている。『ダラス・バイヤーズクラブ』などのジャン=マルク・ヴァレが映画化。美しく壮大な情景、過酷な旅と共につづられる。リースの体当りの演技も圧倒される。 歩き出してすぐに「バカなことをした」と後悔するシェリル。詰め込みすぎた巨大なバックパックにふらつき、テントを張るのに何度も失敗し、コンロの燃料を間違ったせいで冷たい粥しか食べられない状態である。旅に出る前、シュリルは、どんなに辛い境遇でもいつも人生を楽しんでいた母の死に耐えられず、優しい夫を裏切っては薬と男に溺れていた。遂に結婚生活も破綻、このままでは残りの人生も台無しだ。母が誇りに思ってくれた自分を取り戻すために、1から出直すと決めたのだ。だが、この旅は厳しかった。極寒の雪山、 酷暑の砂漠に行く手を阻まれ、食べ物も底をつくなど、命の危険にさらされながら、自分と向き合うシェリル。歩いたのは、だいたい青森から鹿児島ぐらいまでの距離になるらしい。メキシコからカナダまで、アメリカを南から北に抜ける道で、極度の暑さの砂漠や寒さが厳しい雪山を通り抜けるのである。1,600キロの距離を3か月かけて1人で歩き通した。こうして厳しい旅の中で、一人でずっと自分のことやいろいろなことを考えた。 旅に出る前、彼女は優しい夫からも逃げて、浮気をし、刹那的な生き方をしていた。自分を愛してくれる男からどんどん逃げていって、どんどん自分をひどい目にあわせていく。というのは、子どもの頃にずっとひどい目にあっていたからだともいえる。愛されることに違和感があり、怖くなり、愛されることから逃げてしまうのである。しかし、一方で、母には愛されていたのである。母親に、「お父さんに殴られて、貧乏で。どこが楽しいの」って娘が言うと、思い出の中のお母さんは、『それは結婚は失敗だったけど、でも、こんなに素敵な娘を得られたじゃないの』って言う。物事をいつも肯定的にとらえる母親であった。母親は40過ぎて、娘と同じ大学に入る。しかし、45歳で癌でなくなってしまう。このように主人公は、母からは愛されていたからこそ、母の喪失は大きかったが、過酷な旅にでても、母のおかげで、自分を取り戻せたのかもしれない。また、母の旦那は暴力をふるい、母は貧乏であるが、いつも楽しそうに歌を歌っていたのを思い出し、その歌が、サイモンとガーファンクルの『コンドルは飛んでいく』。この歌は、アンデスの山の、4000メートル以上8000メートルとかの山の歌といわれる。なじみのある歌で、映画で流れると、見ている方も元気が湧いてくる。山歩きの意味も考えさせられる映画でもあった。 |