2014年6月14日
2泊3日の職員旅行に行き、3日目は自由行動になったので、彦根城に行った。
前夜は雄琴温泉に宿泊し、雄琴温泉から京都行きの新快速に乗り、山科まで戻り、
乗り換えて、彦根まで電車に乗る。
彦根城 |
彦根城は国宝四城のひとつ。高さは21メートルでコンパクトではあるが、スタイリッシュな形をしている。
現存する天守の中で、最も破風(三角形の装飾部分)の数が多い。
彦根城の石垣は溶結凝灰岩の一種で滋賀県の湖東で多く算出する“湖東流紋岩”が使われ
、石垣の積み方や石垣の使われ方が多様で、彦根城の特徴でもある。
彦根駅前 | 井伊直弼の歌碑 |
彦根駅から彦根城に向かって歩き、井伊直弼の歌碑をみて、開国記念館に入った。
井伊直弼の歌 | 二の丸佐和口多聞櫓 |
あふみの海 磯うつ波の幾く度か 御世にこころを くたきぬるかな (琵琶湖の波が磯に打ち寄せるように、、
私は世のために幾度となく心をくだいてきました)彦根藩主・井伊直弼が1860年元旦()のころに詠んだとされる。
1859年10月、彼の指示によって吉田松陰・橋本佐内ら攘夷派の志士が多く処刑された。(安政の大獄)
前代未聞の弾圧は多くの怨恨を生んだ。安政7年(1860年)の正月(同年3月18日に万延と改元)、
直弼は正装姿の自分の画像を御用絵師狩野永岳に描かせ、この自詠の和歌を書き添えて、井伊家菩提寺の
清凉寺に納めたと伝えられる。直弼は、この2ヶ月後の3月3日、江戸城桜田門外で凶刃に倒れた。
開港記念館 | 開港記念館内の彦根城の模型 |
関ヶ原の戦いに徳川四天王の一人として抜群の功をたてた井伊直政は、この戦いに敗れた石田三成の
居城佐和山城を与えられ、慶長6年(1601)に上野国高崎城から佐和山城へ移った。
その後、直政は城を彦根山に移そうと考えが実現せずに病死する。
慶長8年(1603)、直政の子直継が彦根城の築城に着手し、元和8年(1622)に現在の彦根城が完成。
昭和27年には天守が国宝に指定された。
現在、再建されていない「現存天守」は日本に12個あり、弘前・丸岡・備中松山・松江・丸亀・松山・
宇和島・高知の8つが重文、松本・彦根・犬山・姫路の4つが国宝となっている。
井伊直弼像 | 彦根城のジオラマ |
黒門山道 |
佐和口から入り、人の動く方向に歩いていくと、黒門橋の方に人が歩いていた。地図も見ないで思わずそちらの方に着いていく、黒門に到着する。
黒門山道を登る。急な坂である。西の門三重櫓の中が公開されていたので、入って、その後、天守閣に入る。
天守北側から附櫓 |
天守は3階3重、つまり3階建て3重の屋根で構成されている。屋根は「切妻破風(きりづまはふ)」「入母屋破風(いりおもやはふ)」
「唐破風(からはふ)」を多様に配しており、2階と3階には「花頭窓(かとうまど) 」、3階には高こう欄らん付きの「廻縁(まわりえん)」
を巡らせるなど外観に重きを置き、変化に富んだ美しい姿を見せている。
狭間は蓋つきで、外から見えないように隠されている。外側を漆喰で塗り固めて、いざという時だけ蓋を壊して使うのである。
ひこにゃんと彦根城 | 内側から見る西の丸三重櫓と 同続多聞櫓 |
西の丸三重櫓。裏手でもある西からの敵に対する守りの要であった。
櫓内が公開中だったので、中に入って、回ってきた。
西の丸三重公開中 | 近江富士 |
天井の柱 | 琵琶湖方面の景色 |
櫓内から外の眺め | 急な階段を下りる |
天守閣入口 | 城内の階段を登る。 |
鉄砲狭間 | 井伊直弼像 |
鉄砲狭間。これは「隠狭間(かくしざま)」と言われるもの
天守閣最上部の隠し部屋 破風の下の引き戸から入る。 |
天守天井 |
最上階の東西面には、隠し部屋という秘密の小部屋会がある。入母屋破風の内部に当たる出窓の内側にできるスペースを利用している。
太鼓門櫓内側 | 鐘 |
帰りは表門山道を下り、表御殿の彦根博物館を見学して、博物館の前でひこにゃんが登場したので、写真を撮った。
天秤櫓のみどころ |
「天秤櫓のみどころ」の説明からは、「コの字型に配した城門と両側の続櫓」「天秤ばかりのような廊下橋を中心に
左右対称」というところにその名の由来が窺える。天秤櫓の石垣は、廊下橋を境にして東側(向かって右手)と西側(左手)では
石垣の積み方が異なる。 東側の積み方は、自然石をそのまま用いる「野面積み」で、西側は石と石の接合面(合端)を
加工して積み上げる「打ち込みハギ」といわれる積み方がされている。 野面積みは、彦根城が天下普請で築城された際、
越前衆が積んだという伝承があり、打ち込みハギは嘉永7年(1854)の修理の際に積み直しされたものである。
太鼓門櫓 |
橋上の途中から東側の櫓を眺めるとこんな景色。外観は「大壁造り」である。
天秤櫓 | 登ってくる人たち |
天秤櫓も公開されていたので、入ることが出来た。
南側からみる天秤櫓門に架かる橋 | 表門山道を下る |
鐘の丸と天秤櫓の間には、巨大な堀切が設けられている。堀切は彦根城の特徴でもある。
橋下の通路は尾根を人工的に掘り下げている。
彦根城博物館 | 彦根藩主の甲冑 |
表御紋に下りてきたら、彦根城博物館があったので、見学をした。
能舞台 |
庭園 | 御座之御間から庭園をのぞむ |
庭園は、池を中心とした池泉庭園という構造で、「御座之御間」という藩主の居間からの眺めを中心に、庭にも散策路が設けられている。
表門橋 |
表門横の堅堀と登り石垣 | ひこにゃん登場 |
帰りは表門山道を下り、表御殿の彦根博物館を見学して、博物館の前でひこにゃんが登場したので、写真を撮った。
ひこにゃん | ひこにゃん |
ひこにゃんが13時半に博物館前に登場するというので、13時ころから待っていた。
段々人が増えてきて13時半には、人だかりができていた。本当にゆるきゃらである。
動きもゆるいし、音楽もないが、ただゆっくり動くだけで、たくさんの人が集まって写真を撮るのである。
ひこにゃん |
馬屋 | 馬のトイレ |
お土産や | 石材店 |
石材店のひこにゃん | 彦根駅のようこそ彦根へ |
この日は、大阪で大学時代の同窓会が開かれるので、彦根城を見学した後は、大阪の難波に向かった。