日野
2020年7月19日
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高幡不動参道 |
不動堂 |
NHKBSプレミアムで「英雄たちの選択」は「鬼か?仏か?その後の新選組・土方歳三 」
の放送をみて、土方歳三のゆかりの地である日野の街歩きをしたくなり、してきた。
高幡不動尊の正式名称は、真言宗智山派別格本山 高幡山明王院金剛寺。
関東三大不動の一つに挙げられる。1100年前、平安時代初期に慈覚大師円仁が、
清和天皇の勅願によりこの地を霊場と定めて山中に不動堂を建立し、不動明王を
安置したのにはじまる。土方歳三の菩提寺でもある。
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お護摩の火 |
お護摩とは、梵語でホーマ(homa)といい、〈焚く〉〈焼く〉などの意味をもつことばで、
仏の智慧の火を以て煩悩(苦の根元)を焼きつくすことを表す。
御本尊(不動明王)の前に壇を設け、さまざまな供物を捧げ、護摩木という特別な薪を
焼きつくし御本尊に祈る真言密教独特の修法で、たいへん霊験あらたかであると云われている。
お護摩の火は不動明王の智恵を象徴し、薪は煩悩を表している。
護摩の儀式を通じて薪という煩悩を、不動明王の智恵の炎で焼きつくし、
ご信徒と共に、ご信徒の願いが清浄な願いとして高まり、成就する事を祈る。
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土方歳三銅像 |
五重塔 |
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弁天橋 |
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はす |
はす |
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「観音菩薩像」 |
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山内八十八ヶ所 |
山内八十八ヶ所 |
山内八十八か所巡拝
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不動ヶ丘頂上からの見晴らし |
不動ヶ丘頂上からの見晴らし |
標高が150m前後と思われる不動ヶ丘の頂上からの見晴らしがある。
かつて室町時代の頃この場所には高幡城というお城の本丸があったと伝えられている。
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ゆり |
イロハモミジ |
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太子堂 |
弘法大師像 |
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お稲荷さん |
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藤蔵のお墓 |
文永の板塀 |
高幡不動尊には、不思議な「少年」のお墓が存在している。
アメリカ人の文人で、のちに日本で帰化した小泉八雲が、その著書
「仏の畠の落穂」で紹介したことで世界中の研究者が知るところとなった藤蔵という少年の墓
1822年、現在の八王子市東中野で生まれた小谷田勝五郎という少年が、
ある日「自分の前世は程久保村(現在の日野市程久保)の藤蔵である」と語った。
調べてみたところ確かに藤蔵という少年は実在しており、もちろん勝五郎は藤蔵のことなど
知る術もないにもかかわらず、藤蔵の家族のことや、疱瘡で亡くなったなどの
事実を言い当てたという。当時8歳の勝五郎少年が後から情報を得たというのは
考えにくく、この話は輪廻転生の事例として江戸でも評判になったとのこと。
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奥殿 |
日野宿交流館 |
不動堂の裏手にある朱色の建物が奥殿である。ここは高幡不動尊に伝承されている
数多くの文化財を保管、展示する堂で、重要文化財の丈六不動三尊も安置されている。
不動明王と一緒にとびきりひょうきんで愛らしい二体の童子が並んでいる。
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日野の網漁 |
日野宿本陣 |
本陣は普通の宿屋と違って、大名や幕府役人、身分の高い人が訪ねていた。
日野宿の本陣は、日野宿の名主の、問屋の責任者であった佐藤彦五郎の屋敷だった。
出入りした人の中で、佐藤の義理弟の土方歳三もいた。都内で唯一残る江戸時代の
本陣建物で、かつて敷地内には天然理心流の道場があり、歳三や近藤勇らが修練に励んでいた。
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玄関の間 |
「玄関の間」は、 土方歳三が昼寝をしたとされる部屋。「文乃武乃」(すなわちぶすなわちぶん)は柳田正斎の書。
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控えの間 |
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「控えの間」 土方歳三の書の先生、本田覚庵(かくあん)の孫の本田石庵(せきあん)の筆。
「中の間、下の間」襖の漢詩は柳田正斎(やなぎだしょうさい)筆。
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庭 |
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日野市ご当地ヒーロー「ダライザー」 |
ダライザー 幕末アイドル『のら』 |
ダライザーの色は新撰組の羽織と日野市の鳥カワセミから青、オレンジ。
名前は新撰組の「だんだら模様」から来ているとのこと。
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新選組のふるさと歴史館 |
新選組のふるさと歴史館 |
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伊十郎屋敷長屋門 |
土方歳三記念館 |
伊十郎屋敷長屋門は、土方家の分家だった土方伊十郎の屋敷の長屋門。
土方歳三資料館は、歳三の愛刀である和泉守兼定(市指定有形文化財)、
直筆書簡をはじめ、歳三が京に上る直前に編んだ句集の豊玉発句集、歳三が
池田屋事件で使用した鎖帷子、八月十八日の政変時に使用した鉢金、歳三の人となりを
詠んだ榎本武揚書額、歳三も行商をした土方家家伝薬である石田散薬に関する史料、
土方家伝来十文字槍(銘:助宗)、歳三が稽古に用いた天然理心流木刀、歳三京時代
使用の鎖帷子、歳三生家の復元模型等約七十点余りを公開している。
月2回(第1・第3日曜日)のみの開館。ちょうど、この日は開館日である。
16時に閉館するということで、15時半について、30分だけ見て回った。
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矢竹 |
矢竹の前で記念撮影 |
土方歳三資料館は歳三が子供のころに住んでいた家の跡地にあり、庭に歳三が植えた矢竹が元気に生い茂っている。
生家の庭に矢竹を植え、「吾壮年武人となって名を天下に上げん」と誓ったと伝えられている。
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土方歳三の胸像 |
湯楽の里 |
4才年上の姉「のぶ」が日野宿寄場名主である佐藤彦五郎に嫁いでからは、剣法修行に目覚め、
義兄のすすめで25才で天然理心流に入門すると、家伝の「石田散薬」の行商をしながら、
剣術道具を薬箱にくくりつけて、特に相州方面の剣術道場を訪ねては試合を望んで歩いたという。
土方歳三資料館から万願寺の脇を通って、多摩川を渡って、国立に出て、湯楽の里で汗を流す。