2022年9月24日
長崎県の北西に位置する平戸市は、古来より国際交流の拠点として栄え、戦国時代には
ポルトガル船が来訪。フランシスコ・ザビエルも平戸に訪れ、キリシタン信仰を広めている。
ザビエル記念協会 | ザビエル記念協会 聖堂前方 |
教会は1913年(大正2)に「カトリック平戸教会」として今の愛の園保育園の所に建ち、
1931年(昭和6)に現在地に建設された。 1971年(昭和46)に1550年の
ザビエル平戸来訪を記念して教会脇に「ザビエル記念像」が建立され、
教会の名称が「聖フランシスコ・ザビエル記念聖堂」と呼ばれるようになったが、
近年、正式名称を「平戸ザビエル記念教会」と改めた。
献堂75周年とザビエル生誕500周年 | ルルド |
松浦史料博物館 | 松浦資料博物館 |
松浦史料博物館は、鎌倉時代から続き、平戸をはじめ壱岐をふくむ長崎県北を治めた
平戸藩主松浦家に伝来した資料を保存・公開する博物館。建物は、
明治26年(1893)に松浦家の私邸として建てられた「鶴ヶ峯邸」を利用している。
正面入り口の石段は松浦当主も実際に上った江戸時代初期のもの。78段先に博物館がある。
紺糸威肩白赤胴丸 |
寺院と教会がみえる |
ジャガタラの道 |
「ジャガタラ」とはジャカルタをさすそうだ。
オランダ商館にも入って、展示されたものを見て回った。
生月島
平戸島の北西に位置する島。平戸島とは生月大橋により結ばれており、人口は約6,000人。
多くのキリシタンたちが暮らし、禁教時代には厳しい弾圧が行われた殉教の地として
知られるほか、江戸時代には日本で最大規模の捕鯨基地として栄えた。
『かたりな』前に広がる棚田 | 長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産 |
春日集落は長崎県平戸島の西岸にある人口70人ほどの小さな集落である。禁教期、春日集落の人々は中江ノ島を殉教地として拝みながら、キリスト教が伝わる以前から山岳信仰の対象であった安満岳なども併せて拝むことで信仰を実践した。春日集落の潜伏キリシタンは、19世紀のキリスト教の解禁後もカトリックには復帰せず、かくれキリシタン信仰を継続したため、集落に教会堂は存在しない。現在では、カクレキリシタンの組織は解散しており信仰は途絶えているものの、2018(平成30)年4月1日にオープンした春日集落拠点施設「かたりな」には春日集落の住民の方が語り部として常駐して |
かたりな」とは、「語りを通じた交流」という施設のコンセプト及び
「活動に加わる」という方言の意味合いもあるらしい。
『長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産』は、キリスト教禁教による宣教師不在の中、 神道や仏教などの日本の伝統的宗教や一般社会と関わりながら信仰を続けた潜伏キリシタン の伝統のあかしとなる遺産群である。 それらは、国内に宣教師が不在となってキリシタンが「潜伏」したきっかけや、信仰と 実践と共同体の維持のためにひそかに行った様々な試み、そして宣教師との接触により 転機を迎え、「潜伏」が終わりを迎えるまでの歴史を物語る12の構成資産からなる。 これらが長崎と天草地方の半島や離島に点在しているのは、大航海時代にキリスト教が 伝わったアジアの東端にあたる日本列島の中で、最も集中的に宣教が行われた場所だから である。 |
お昼を食べて、車で生月島に移動し、かたりなでビデオを見せていただいているうちに
気持ちよくなり、うとうとした。少し癒しの時間にもなり、休憩ができた。
塩俵の断崖 |
断崖絶壁が続く島の海岸線の中でも「柱状節理」と呼ばれる、玄武岩が
五角形から七角形に割れて柱のように並んだ断面が特徴となっている。
波打ち際にも切り株のような小さな岩が多く集まる。高さ20メートルにも
及ぶ壮観な光景が南北500メートルの距離に渡って広がっている。
塩俵園地の断崖 |
大バエ灯台 |
平戸市生月町御崎、生月島の最北端に位置する灯台。
展望所付きの白亜の灯台から、水平線を一望する雄大な景色が楽しめる。
田平天主堂 |
田平天主堂に寄ったが、コロナ禍で、あいにく中には入れず、外観だけの見学となる。
田平天主堂は、1886年以降、ラゲ神父やド・ロ神父が買い取った土地に黒島、
外海から移住した信徒によってはじまる。1918年、信徒たちは、中田藤吉神父の
奔走による寄付に助けられ、鉄川与助が設計・施工した最後のレンガ造教会を建てた。
ステンドグラス |
外からの窓から中のステンドグラスがのぞくことができた。