福岡城 

2022年9月23日


   
 石垣  

福岡城は豊前国中津12万石から筑前国福岡52万石に移封された初代藩主
黒田長政が、慶長6年(1601)から7年がかりで築城した城で、舞鶴城ともいう。
平山城で、天守閣はなく大中小の各天守台と47の櫓があったという。
本丸、二の丸、東二の丸、南二の丸、三の丸で構成された内城部分で
413900u、城下の武家屋敷まで含めば2460000uもの広大な規模を持つ城郭である。

   
 復元建物  展示館内

鴻臚館跡展示館では、発掘当時のまま残された遺構や出土品、復元建物などを
みることができる。復元建物は、原寸大の模型を展示。平安時代の建築資料に
基づいて再現され、構造や組み立ての過程がわかるようになっている。

   
復元建物  遺構 

鴻臚館(こうろかん)は飛鳥・奈良・平安時代の外交施設。中国大陸や朝鮮半島からの
使節団の迎賓館として、また日本の外交使節である遣唐使や遣新羅使の宿泊所としても使用された。
「古代アジアの玄関口」と称される鴻臚館の名前は、古代中国で外国との
交渉を司る「鴻臚寺」に由来し、「鴻」は大きな鳥の意から大きい、「臚」は
腹の意から伝え告げるという意味があるそうだ。
「鴻臚」という言葉は外交使節の来訪を告げる声を意味している。
日本は昔から東アジアとの交易が盛んだったことがわかる。
発掘調査で発見された遺構を調査当時のままで公開しており、礎石や柱の跡などがみられる。

   
遺構  宿坊 

飛鳥・奈良時代には筑紫館(つくしのむろつみ)と呼ばれたが、平安時代には
中国唐で外交を司った鴻臚寺にならって鴻臚館と呼ぶようになった。
鴻臚館は、平安時代には筑紫、難波、平安京に置かれたが、
その遺跡が確認されているのは福岡の鴻臚館だけである。
西鉄ライオンズの本拠地であった平和台球場がダイエーホークスの
時代にドーム球場に移転したのに伴い、発掘が始まった。

   
 古代官道推定図  鴻臚館跡

古代官道推定図は、外交使節は鴻臚館から客館へ、そして大宰府政庁へ

   
鴻臚館跡展示室   

   
   天守台

天守台には工事中で上がれなかった。

   
 天守台跡  銀杏



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