古宮城
2024年8月10日
|
|
新城駅 |
JR飯田線 |
新城駅からバスに乗り、新城高里まで乗る。新城駅に着いたのが10時半頃。
バスが12:07分、時間があったので、バス停を探したり、お昼を食べるところ
を探したりしていたが、食べる店がない。結局、コンビニのような店でパンを
買って(おにぎり等なし)駅で食べる。それでも時間があったので、
情報センターがあり、そこに寄った。そこで、同じように時間を待って
京都からきて古宮城にいく人がいた。結局、この方とは最後まで
同じようなルートと時間で動いたことになる。とにかくバスの本数が
少ないし、時間も限られているので、待ち時間が長すぎるのである。
新城駅にはコインロッカーもなかった。結局、豊橋駅に戻るので、
豊橋駅のコインロッカーを利用すればよかったと後から思う。
|
|
作手歴史民俗資料館 |
少女像『ふれあい』と『ポットホール』 |
Sバス作手線に乗り、終点作手高里バス停で下りる。作手歴史民俗資料館で
続100名城のスタンプを押す。
|
|
『ポットホール』と力石 |
|
『ポットホール』とは、川底にある岩が、水流で回転する石や
岩によって徐々に徐々に削られてできた穴のこと。
|
|
|
白鳥神社 |
古宮城は武田信玄が築城し、その縄張り設計は馬場信春が行ったといい、
時期は元亀3年(1572年)頃のことと考えられる。
|
|
白鳥神社拝殿 |
堀 |
|
|
小口 両袖枡形 |
仕切り土塁 |
四角い広場を作って、周りを土塁で囲んでいる。
|
|
大堀切 |
西地区主郭 丸丸出し |
城の真ん中には高さ最大およそ8m、幅が5mの巨大な堀。
堀をはさんで敵を迎え撃つエリアと本丸エリアに分けることで、防御力を高めるという構造
|
|
土塁に囲まれた曲輪 |
土塁 |
|
|
土塁 |
東地区主郭 |
古宮城の東側・枡形の奥にあるのが本丸。本丸も土塁で2つに分かれている。
右側は一段低くなっていて、信玄が家臣と会議を行うために使ったと考えられている。
また高くなっている左側は、城内で最も高くなっていて、信玄が寝泊まりしたと考えられている。
|
|
古宮城 |
案内表示 |
時間がたくさんあったので、亀山城方向に歩く。日差しが強く、ものすごい汗をかく。
リュックを背負っていたので、汗びっしょりで、中までぬれていた。
|
|
亀山城入り口 |
亀山城本丸 |
亀山城は、応永31年(1424年)に奥平貞俊によって築城された。
貞俊は、天授年間(1375年〜1380年)に現在の群馬県から
この地に移り住んで川尻城を築いた後、亀山城を築城してここに
居城したとされている。その子孫は、この地で支配者としての
地位を確立し、後に山家三方衆と呼ばれる有力土豪となった。
|
|
亀山城からの展望 |
穐山城址の図 |
|
|
亀山城址入口 |
道の駅 とんちんかん |
亀山城の隣に道の駅「つくで手作り村」があり、そこに下りてきたら、亀山城址入口になっていた。
|
|
道の駅「つくで手作り村」 |
亀山城址 |
道の駅で、トマトとバニラの混ざったソフトクリームを食べたり、
道の駅で売られていたものを見て回ったりして時間をつぶす。
バスで新城駅に出て、豊橋までJRに乗る。
豊橋の東横インで泊まる。
豊橋駅前