2019年4月14日
府中美術館で、「へそまがり日本美術」展が開かれていたので、見に行った。
「へそまがり日本美術」展覧会概要
人は、見事な美しさや完璧な美しさに、大きな感動を覚えます。しかしその
一方で、きれいとは言いがたいもの、不格好で不完全なものに心惹かれる
こともあるでしょう。「へそまがりの心の働き」とでも言ったらよいでしょうか。
<中略>
徳川家光が描いた《兎図》はどうでしょうか。将軍や殿様が描いた絵には、
ときおり見た人が「???」となるような、何と言い表せばよいか困って
しまうような「立派な」作品があります。描き手が超越した存在であることと、
関係があるのかもしれません。更に近代にも、子供が描いた
絵を手本にして「素朴」にのめり込む画家たちがいました。
この展覧会では、 中世の禅画から現代のヘタウマまで、 日本の美術史に
点在する「へそまがりの心の働き」の成果をご覧いただきます。
へそまがりの感性が生んだ、輝かしくも悩ましい作品の数々を
眺めれば、日本美術のもう一つの何かが見えてくるかもしれません。
徳川家光 《兎図》(部分) |
2020年2月11日
小学生の作品 |
府中美術館で、府中市の連合図工美術展覧会が開かれていて、
見にきてといわれていたので、見に行ってきた。
見た後、高嶋英雄の公開制作と青木野枝の展覧会も見た。
公開制作風景 | 公開制作風景 |
高嶋英雄「からっぽに満たされる」展概要
陶や樹脂などで造形し、現実から遊離した空気をまとう人物表現に取り組む高嶋英男。
日本画、工芸、彫刻を専門的に学び、身につけた技術を混交させて用います。
例えば高嶋は、粘土を足元から袋状に積み上げて人体を形作りますが、
これは彫刻よりも陶器の作り方に近いですし、青色の絵付けや金泥で
飾られた表面は陶の質感を持っています。ほかにも特殊メイク顔負けの
型取りや、鰹節を削ったオブジェなど、技法や素材は実に多彩です。
ジャンルにとらわれない選択は、裏返って作ることへの執念を感じさせます。
ただし、顔が空洞の壺に変化してしまうように、執念が勢い余って
反転してしまうところに、高嶋の個性があります。均されて整えられてしまう
前の力強い衝動が、私たちをひきつけてやみません。
今回は、粘土を積み上げて等身大の人体像を公開制作します。細やかな作業の
経過とともに、人であり人を超えた存在が生まれてくる時間に立ち会ってみませんか。
美術館のロビー |
私には世界がこう見えている。
でも、もちろん他の人は違う。
みんな違うということを言っていきたい。
青木野枝「霧と鉄と山と」展概要
彫刻家・青木野枝は、大気や水蒸気をモティーフに、万物がうつろい
ゆくなかの生命の尊さをあらわしてきました。その彫刻は、鉄や石膏という
固く重い素材を用いながら、周囲の空気をまとって、とても軽やかに見えます。
作品のほとんどが展示場所に合わせて作られ、展示が終わると解体されます。
青木は、つくって、置き、崩す、を繰り返し、その営みのなかに自らの
彫刻があると考え、実践しているのです。
美術館のロビーから作品の展示が始まり、展示室も贅沢に
空間を使っている。その場で溶接して作成したようである。
行き帰り、公園の中を通る。梅の花が咲き誇っていた。