伊賀上野 

2019年2月23日

   
横浜駅  スカイビル入口 

母親が足の骨折で、人工骨を入れる手術をし、入院をしたので、見舞いに行くついでに
伊賀上野と松坂を訪れた。横浜から高速バスで、上野市駅まで乗る。
横浜発23時25分、上野市駅着6:14である。

   
 高速バス 忍者市駅 

早朝に上野市駅に着いたので、上野市駅の周辺の散策をした。
伊賀鉄道の「上野市駅」は、正式な駅名であるが、愛称を「忍者市駅」として目立つように表示している。

   
芭蕉のブロンズ像  東大手門跡

   
百五銀行   上野市駅

   
  松本零士がデザインした忍者車両 

   
街の中の壁画   

   
駅前のアーケード街「新天地」 ハイトピア伊賀 

ハイトピア伊賀に入ると、コンビニなどの店があり、朝食にサンドウィッチを買って食べる。

   
伊賀上野公園の地図。   まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花

まゆはきを俤(おもかげ)にして紅粉(べに)の花
句意: 女性の眉履きの姿を思い浮かべさせるように咲いている紅花よ。

   
  だんじり会館 

   
俳聖殿   

芭蕉生誕300年を記念して1942年に建造された俳聖殿は、松尾芭蕉の旅姿を
模して造られている。二層の丸い屋根は旅笠、俳聖殿の木額が顔、一層の
八角形屋根は蓑や衣装、堂は脚部、回廊の柱は杖と足を表現している。

   
俳聖殿由来の記  石垣 

加藤清正と並ぶ築城の名人の藤堂高虎が作り上げたのが、お城の西方に伸びた高さ30m

   
本丸高石垣と内堀  内側から現れた石垣 

   
 伊賀上野城 台所門跡周辺の建物 

伊賀上野城は、築城の名手『藤堂高虎』が1608年に伊勢国津藩(三十二万石)の
藩主に着任し、五層の天守閣を建設したが、慶長17年(1612)当地を襲った大暴風で倒壊。
現存する天守閣は昭和10年に復元されたものだが、石垣と内堀は高虎が築城した当時のままである。
三層からなる城内には武具・甲冑や藤堂家の遺品、横山大観をはじめ名士の色紙46点の天井絵がある。

   
城代役所跡   城代屋敷建物跡

   
庭の飛び石、石列、石敷遺構  燈篭 

   
 杖を持った松尾芭蕉の旅姿  

芭蕉翁記念館は昭和34年(1959)神部滿之助氏の篤志寄付により、俳聖芭蕉翁を顕彰する
事業のひとつとして、上野公園の一角に建てられた。8時半から入館できるので、時間を待って
入館した。館内には、芭蕉翁真筆資料のほか、連歌・俳諧に関する資料が展示されている。
伊賀出身の松尾芭蕉は、町人文化が大きく花開いた元禄年間、徳川第五代将軍・綱吉の時代である。
芭蕉は俳句の名人として名高いが、もとは滑稽さを追求する俳諧連歌に心酔していた。
草庵に隠遁し、自然と向き合うことで芭蕉のスタイルが確立された。それが俳諧連歌の
発句だけで表現し、17文字だけでわびさび、諸行無常を表現する蕉風だ。後に俳聖と呼ばれるまでに至る。
今回は、企画展「日本の四季と芭蕉(ばしょう) 冬」が開かれていた。松尾芭蕉の冬にちなんだ
句の短冊や弟子に宛てた書簡など、真筆を含む計三十九点が並ぶ。寝正月を悔やんだ句もあった。
学芸員の方にいくつかの書簡の説明をしていただいた。
芭蕉さんの年末年始や冬にちなんだ作品を中心に紹介していただいた。
ユーモラスな「いびきの図」もあった。『笈の小文』の旅には、途中から杜国が万菊丸の仮名で同行したが、
その万菊丸のいびきには、芭蕉も悩まされ、万菊丸のいびきの大きさを、たわむれに図示したのである。
2本の波線でいびきの大きさや抑揚を表したユーモラスな作品である。

   
 天守閣  

現在の三層の天守は、1935年(昭和10年)に川崎克氏により建てられた。

   
藤堂 蔦紋額  

関ケ原の合戦で勝利した家康は、藤堂高虎を津藩に封じ伊賀上野も合併。西方の大阪豊臣方に
対する備えとした。高虎はもともと秀吉に仕えた武将だったが、秀吉死後、関ケ原の合戦前から
家康との関係を深め、譜代のように家康の信任を得た。

   
   

本能寺の変時に、徳川家康が堺から伊賀越えで白子(四日市)へ出て、船で伊勢湾経由、
三河岡崎へ退避行した。このとき、伊賀領内の案内をしたのが、当地ゆかりの服部半蔵。
半蔵は後に伊賀者や甲賀者を束ねます。江戸城半蔵門に名前が残っている。

   
  天井画 

一階で「天井絵巻」の冊子が売ってあったので、購入をした。

   
横山大観の絵もある。   至正 尾崎行雄

   
高浜虚子   

高浜虚子の俳句「秋晴れや 前山に糸の 如き道」

   
  忍者屋敷 

火薬の製造技術が敵方のスパイに盗まれないために、典型的な忍者屋敷では、
わなを仕掛けたり、からくり廊下を使って防御していました。忍者屋敷は農民の住まい
そのもので、そこに「どんでん返し」「抜け道」「隠し戸」「刀隠し」などの仕掛け・からくりを備えていた。
ここではくノ一(女忍者)が案内し、室内に仕掛けられた数々の仕掛け・からくりを実演してみせてくれた。

   
どんでん返し   

どんでん返しは、あっという間に人が消える技技を披露。天井下に忍者が潜んでいる。

   
   

   
   

しかけ床板を素早く外すと、「まきびし」を取り出したり、隠してあった
カメから古銭や忍術秘伝帖などを取り出して説明された。
忍術秘伝帖は貴重なもので、家が火事になっても燃えないように
亀の中に保存されているのである。

   
刀隠し  七方出 

   
忍術体験館   

忍者体験館には、忍者の道具や史料が展示されている。忍術書に基づいて作られた
手裏剣などの忍具や、実際に使っていたとされる水蜘蛛(みずくも)など400点以上が展示されている。

   
   忍者伝承館(忍者の装束)

   
   

   
 鉄郎とメーテルリンク像  忍者市駅

忍者市駅から松坂に向かうため、伊賀神戸まで乗る。
「上野市」駅前に、銀河鉄道999のメーテルと鉄郎の像があった。伊賀鉄道の電車の忍者の
デザインを、銀河鉄道999で有名な松本零士氏がデザインしたことが縁で、メーテルと鉄郎の像がある。

   
伊賀鉄道  伊賀神戸駅