飯田橋 

2017年12月4日

出張で、飯田橋に行き、昼休みに少し時間ができたので、少し歩いてみた。
JR飯田橋駅西口からすぐのところに、牛込橋がかかり、その南詰に牛込見附跡の石垣が残っている。

   
 牛込橋と神楽坂方面を望む  牛込見附跡の説明

神楽坂から外堀に掛かる牛込橋を渡り、道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されている。
これが牛込見附跡である。牛込見附跡は江戸城内郭外郭の城門で、この牛込見附は
寛永16年(1639年)に建造された。「牛込橋」は江戸城外堀に架かる橋で、
西側・向こうに見えるのは新宿区の神楽坂。見附は要所に置かれた升形がある城門の外側で、
本義は城門を警固する番兵の見張所だが、転じて城門の意味となる。
橋のたもとに、枡形に使用された石が展示されている。その石をよく見ると「阿波乃國」と彫られており、
蜂須賀氏によって築かれたことを物語っている。阿波の蜂須賀家がここまで船で運んできた
御影石だそうだ。今は石垣だけだが、当時は石垣の上に渡り櫓という建物が有ったとのこと。

 

牛込見附跡の説明

史跡 江戸城外堀跡  牛込見附(牛込御門)跡

正面とうしろの石垣は、江戸城外郭門のひとつである牛込見附の一部です。 江戸城の外郭門は、敵の進入を発見し、防ぐために「見附」と呼ばれ、足元の図のように二つの門を直角に配置した「枡形門」という形式をとっています。

この牛込見附は外堀が完成した1636年に阿波徳島藩蜂須賀忠英(松平阿波守)によって石垣が建設されました。 これを示すように石垣の一部に「松平阿波守」と刻まれた石が発見され、向い側の石垣の脇に保存されています。

江戸時代の牛込見附は田安門を起点とする「上州道」の出口といった交通の拠点であり、 また周辺には楓が植えられ秋の紅葉時にはとても見事であったといわれています。

その後、明治35年に石垣の大部分が撤去されましたが、下図のように現在でも道路を挟んだ両側の石垣や橋台の石垣が残されています。
この見附は、江戸城外堀跡の見附の中でも、最も良く当時の面影を残しています。

足元には、かっての牛込見附の跡をイメージし、舗装の一部に取り入れています。


   
石垣   総武線

   
紅葉風景   ボート乗り場と水上カフェもみえる。