2024年5月4日
東京〜四条畷までの乗車券 | 飯盛霊園 |
前日、愛知の実家で泊まり、大阪の四条畷まで行く。駅で降りて、飯盛城に向かおうとして
バスの運転手に聞くと、このバスも行きますよと言われる。それを信じて乗って向かった先
が飯盛霊園であった。飯盛霊園から飯盛城は近いのかと思ったら、一山超えた先に
飯森霊園なのである。自然豊かな広大な霊園であり、人もたくさん出入りしていた。
再度引き返して、四条畷駅までバスに乗る。思い直して、お昼を食べて、
四条畷市立歴史民俗博物館を探していく。飯盛城が四条畷駅から
一時間歩くとなっていたので、バスで行けるところまで行こうとしたのが
間違いだったかもしれない。前日の諏訪原城に行くのに、都合よくバスが
出ていて乗れたので、この時もバスに乗りたいという思いにつながったと思う。
結局、この間の時間が2時間近く遅くなったのである。最初にスタンプを押すために
歴史民俗博物館に行って、情報を仕入れておいた方がよかった。
飯盛霊園 | 四条畷市立歴史民俗博物館 |
飯盛霊園は巨大な霊園で、確かにバスに乗る人たちは、このゴールデンウィークで
霊園に向かった人たちで賑わっていた。戻りのバスは四条畷駅まで直通バスが
出ていてそれに乗った。たくさんの人たちが乗っていた。歴史民俗博物館では、
飯盛山に行くルートを教えてもらって歩くことにした。
歴史民俗博物館の前 |
R四條畷駅には登山コースガイドと、石垣マップがあったらしく、それが発見できなくて残念。
急いでバスに乗ってしまったのが失敗だった。
滝谷楠水の場 |
楠公寺 | シャガ |
飯盛城址 |
飯盛山の山頂に四條畷市と大東市にまたがって存在する中世の山城跡です。その規模は
南北約700メートル・東西約400メートルを測り、西日本有数のもの。城内には、
多くの曲輪(くるわ)や堀切(ほりきり)・土橋(どばし)といった場所が良好な状態で残っている。
飯盛城は、戦国時代に三好長慶(みよしながよし)が居城としたことで知られ、
長慶は永禄3年(1560年)11月に芥川山城(あくたがわやまじょう:高槻市)から
拠点をこの城に移した。彼はこの城を拠点に五畿内(大和、山城、河内、摂津、和泉)と
四国の一帯を統治し、室町幕府の政治を動かした。彼が永禄7年(1564年)に
城中において42歳で没したことは3年間にわたり秘められ、その遺体は
御体塚郭(ごたいづかくるわ)に仮埋葬されたといわれている。
山頂からの景色 |
長慶が権力を担っていたのはわずか4年あまりだが、この城は政権が所在する
『首都』といえるような場所。近年織田信長に先駆ける天下人として評価されている。
下りは北条神社コースを歩く。急ではあるが、時間短縮になると思った。
北条神社 | 北条神社説明書き |
飯盛山を振り返る。 | 京都タワー |
四条畷駅から新大阪駅に出て、京都駅に着く。バスに乗り、四条大宮駅でホテル東横インでチェックイン。
阪急大宮駅 |
四条大宮駅は嵐電の始発駅であることがわかる。明日は嵐電を使って嵐山などに
行くことにした。
大衆酒場 かぞく |
夕食は一日の疲れがどっと出てきたので、適当な飲み屋さんを探して、入った。
刺身などを注文すると、7時までビールが250円、ハイボールなどが100円になっていた。
リーズナブルな値段である。ビール一杯とハイボール2杯飲む。
京風焼(お好み焼き) | 日本酒「古都千年」 |
ホテルで日本酒「古都千年」を飲んだ。一日の疲れを癒した。
この日は判断違いが多かったが、それはそれで反省しつつ、
違った光景を見た気もする。反省すれば次につながる。