稲田堤から矢野口
踏切 

2020年5月30日


近くの街歩きをどこにしようかとホームページで探していたら、南武線の踏切巡りの
ページがあったので、参考にして出かけた。踏切にもいろいろな名前がついているのを知った。

   
 JR南武線の「稲田堤駅」 観光道踏切 

JR南武線の「稲田堤駅」は、1927年(昭和2)11月1日登戸〜大丸間開業時に「稲田堤停留場」
として開業、翌年駅に昇格とのこと。今回、JR南武線の 稲田堤駅 から 矢野口駅間 の踏切を歩く。

   
 観光道踏切  京王稲田堤駅

稲田堤駅の前にある踏切は、「観光道踏切」。この踏切を横断してゆく道路は
多摩川堤に向かう道路。南武鉄道は、乗客誘致に向けて桜並木の造成を
しており、この時に桜並木の堤に向かう観光道路が真っすぐ新設されている。

   
 但馬稲荷神社 府中街道沿いの 稲荷社

但馬稲荷神社の祭神は、宇迦之御魂命(うかのみたまのみこと)。本殿は文久2年(1862)造。
府中街道沿いにも稲荷社があった。ここは、扉を開けたら必ずしめてくださいと但し書きがある。

   
扉を開ける   天宿第三踏切

いつの間にか、天宿第三踏切。第一、第二が見当たらないのは、かって存在したのがなくなったからである。

   
 天宿第三踏切 南武線の線路 

   
 集落の名主の原島家の屋敷門  原島踏切

原島踏切は、原島家の前にある。個人名がついている踏切である。

   
  原島踏切 

   
営団前踏切   第六地蔵(第一 樋口-といぐち-の地蔵)

営団が発案されたのは、住宅政策の分野からが最初とされている。
戦時中に全国各地で「営団住宅」が住宅を供給している。戦後日本住宅公団
になっている。現在この踏切を渡ったところに芝間住宅という日本住宅公団、
後のURの高級マンションが何棟も林立している。戦時中の地図をみるとこの場所に
戸建て住宅が並ぶ地域であった。南武線沿線の軍需工場で働く人々の
住宅を「営団住宅」が供給していたのだ。これがこの踏切名の由来である。
府中街道沿いには、「菅の六地蔵」とよぶ地蔵菩薩が一体ずつ点々と祀られる。

   
 地蔵菩薩と銀杏の木 矢野口駅