犬山  

2018年11月10日

   
犬山駅  犬山のマンホール 城と木曽川の鵜飼

名古屋で同窓会があったので、出席する前に犬山まで足を延ばし、犬山城や城下町を歩いた。

   
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 『老い呆け来ず地蔵(元気地蔵)縁起』  

『老い呆け来ず地蔵(元気地蔵)縁起』には次の事が書かれていた。
この老い呆け来ず地蔵は京都市役所前のゼスト広場に設置された
地蔵の原像であり詩画書作家の城たいが氏の手造りです。
二体の像は人間の内面の善と不善を表現し頭にはちまきを結び
「元気長生き、縁結び、安産、賢い子どもの成長」を祈願しています。

   
天使の心   

   
 昭和横町  どんでん館

昭和横町は、飲食店が複数ある店。
どんでん館では、毎年4月の第1土日に行われる、国の重要無形民俗文化財指定の「犬山祭」で曳かれる
車山(やま=だしのこと)を4輌展示している。犬山祭で車山が方向転換する際、車山を曳く手古(てこ)衆が
掛け声もろとも車山の片側を持ち上げて180度回転するさまは「どんでん」と呼ばれ、施設名はこの言葉から名づけられたとのこと。

   
   

   
 車山蔵 旧磯部家住宅 

町のあちらこちらには犬山祭に使われる車山をおさめた車山蔵もある。
「旧磯部邸」は、木造の町屋。本町通りに西面して建ち、江戸時代から柏屋孫兵衛の屋号で
呉服商を営んできたが、戦後に製茶販売業に転業した。主屋は正面から見ると2階建て、
裏は屋根裏の「バンコ二階」という造りになっている。屋根はふくらみのある「起り屋根(むくりやね)」で、
主屋内部の豪華な「座敷飾り」から、当時の豊かな暮らしぶりがしのばれる。敷地はこの時代の
税金対策から、間口を狭くして奥行きを広く取った構造になっている。晴れて乾燥した日には
「なまこ壁」で仕上げられた土蔵を見学できる。また、奥土蔵と展示蔵、和室は
ギャラリーとしての利用も可能である。
建築年代は慶應年間で、明治24年(1891)の濃尾震災で被災し、
仏間から奥は小屋組まで改築されている。経年による破損とその後の改造が甚だしく、
平成17年(2005)に保存修理工事が行われて、明治時代中頃の姿を目途に復原された。
間口が7m弱、奥行きが50m以上と、細長い敷地。道路に近いところがお店、
真ん中あたりが普段の生活に使うところ、奥が蔵となっている。

   
   座敷

   
 お風呂  柏屋の屋号

   
 犬山城がみえる 黄金のだんごをもった大黒様 

   
 高札問屋場火の見櫓跡  火の見櫓 右は「山田五平餅店」

   
犬山市文化史料館  江戸・昭和・平成の鯱瓦 

犬山市文化史料館は「城とまちミュージアム」の愛称で犬山城と城下町をつなぐ施設として
平成24年10月にリニューアルオープン。犬山の歴史や文化を展示紹介。
犬山城主の成瀬氏について、また成瀬氏も出陣した長篠・設楽ヶ原の戦いや、
犬山城も関係している小牧長久手の戦いなども詳しく解説していた。
犬山は現在も江戸時代とほぼ同じ町割りのまま城と城下町が残っている。

   
 犬山城のジオラマ  町屋の構造

犬山城下町絵図を現在の地図と重ねると道路はほぼ変わらない。江戸時代の通りが残る。

   
からくり展示館  からくり展示館 

からくり展示館は、犬山祭の山車からくりなどを展示する。

   
 犬山城石碑  「三光稲荷(さんこういなり)神社」

三光稲荷神社は、犬山城主・成瀬家歴代の守護神でもあった歴史ある神社
最近ではハート型のピンクの絵馬(500円)が人気ある。

   
猿田彦神社の拝殿光景  姫亀社

猿田彦大神は、天孫降臨を啓行(みちひらき)された神とされる。天孫降臨は、
天孫の邇邇藝命(ににぎのみこと)が、天照大神の神勅を受けて葦原の中つ国を
治めるために、高天原から日向国の高千穂峰へ天降(あまくだ)ったとする日本神話での出来事
姫亀社で、祀られている姫亀(大宮女命:おおみやめのみこと)は、
芸能の神・家庭円満・厄除の神とも言われ、巫女の元祖のような神様。
天孫降臨のとき『猿田彦大神』と出逢い、のちに夫婦になったという
伝説があるため、縁結びに縁起が良い神社として人気があるとのこと。

   
  七五三 

祠は情熱の朱に塗られ、願いを書き込む絵馬はハート型。このハート型の絵馬が
祠の横のボードに、まるで満開の桜の花のようにかけられている。

   
   犬山城入口

   
犬山城   石垣

犬山城は、室町時代の1537年、織田信長の叔父、織田信康によって木之下城より城郭を移して
築いたのが犬山城の始まり。秀吉も一瞬だけ入城。その後、めまぐるしく城主がかわり、
元和4年(1618年)成瀬正成が城主となり、以後成瀬家の子孫が入城。
現在は江戸時代前後に建造された天守が現存した国宝の4城の一つである。
天守台の石垣は自然石をそのまま積み上げる「野面積」で5メートル、
天守の高さは19メートル。2004年3月の時点で、日本全国で唯一個人所有の城であったが、
同年の4月に財団法人犬山城白帝文庫の所有になり、現在にいたる。

   
南側 天守から直下 西側 木曽川 

当時のままの、急で滑りやすい階段を登りきれば、風情ある木曽川と濃尾平野を一望できる。
南側には、尾張富士や本宮山がみえる。
城の西側の木曽川にかかるライン大橋とその向こうに伊木山(いぎやま)が見える。

   
北側   北側

   
東側 犬山橋  南側 名古屋方面 

東側にみえる木曽川の向かって左部分が岐阜県、
つまりかつての美濃国。向かって右部分が尾張国、現在の愛知県

   
  石垣 

   
   

   
   

   
   

   
   名鉄ホテル

   
 日本庭園 有楽苑  

有楽苑は、信長の実弟・織田有楽斎が京都の建仁寺に建てた茶室「如庵」や
有楽斎の隠居所だった「旧正伝院書院」を移築した庭園。

   
有楽苑   

旧正伝院書院は、織田有楽が建仁寺の塔頭正伝院を再興し、隠居所として建築したもので、
昭和47年(1972)に如庵とともに現在地に移された。

   
   

   
   弘庵

弘庵は、苑内で四季折々催される茶会のために新築された茶席。
蹲踞は水琴窟(すいきんくつ)とよばれる仕掛けで、反響する水音が琴のように風雅な音色を奏でる。

   
 旧正伝院書院 石灯籠 

   
  旧正伝院書院 

旧正伝院書院は、如庵に隣接して建てられた有楽齋の隠居所で内部には
長谷川等伯や狩野山雪などの襖絵が残っている。(普段は非公開)

   
如庵   国宝指定書 第三号

如庵は、柿葺(こけらぶき)の端正な外観を示すこの茶室の内部は二畳半台目で
床脇にウロコ板を入れ斜めの壁を作っているところから「筋違いの囲」といわれている。

   
元庵   

   
   元庵内部

元庵は、有楽斎が大阪・天満に構えた茶室を古図にもとづいて復元。
三畳台目の茶室内部は奥に深い間取りで、亭主床と呼ばれる床構えになっている。

   
元庵   

   
 木曽川 水神 

川沿いに水神がまつられていた。

   
  木曽川から眺める犬山城 

   
名鉄電車   

   
 鵜飼の乗船場  犬山遊園駅

犬山遊園駅から名鉄電車に乗り、名古屋駅まで行く。
   
 名駅のまるは食堂  にぎわう名古屋駅


   
 親善大使の観光案内  トリピー

名古屋駅中央コンコースでは、鳥取県の観光イベントが開かれていた。ジャンケン大会も開かれていた。


近世の曙

織田信長26歳、今川義元42歳。1560年の桶狭間の合戦。
織田信長は愛知の[清洲城]>[熱田神宮]>[桶狭間]を舞台に今川義元の大軍勢に
立ち向かい、織田軍約2000人、今川軍約25,000人、織田軍は圧倒的な不利な寡勢で
大軍今川義元に見事勝利した歴史に名を残す有名な戦いであった。
両雄の2体の銅像がJR名古屋駅太閤通口(銀の時計前)に展示されていた。