岩殿山稚児落とし 634m 

2016年4月24日



岩殿城は、今年の大河ドラマ「真田丸」の最初の方で出てきたが、天正十(1582)年三月、織田・徳川連合軍が甲斐に侵攻、
武田勝頼は築城なかばで、新府城を焼き捨て、真田昌幸の[岩櫃城にお退きあれ」の言を退けて小山田信茂の守る岩殿城へ
退避するべく行軍していたが、笹子峠で小山田信茂は叛乱、勝頼は岩櫃へと転進するも敵わず、三月十一日、
天目山にて自刃した。信茂は信長への帰参を請うたが、不忠者として逆に成敗された。武田氏、小山田氏滅亡後は
甲斐を治めた徳川氏の手に渡ったが、元和元(1615)年廃城となった。
小山田信茂は、信長の覇権拡大の下で犠牲となったのだが、信長は、このわずか三ヵ月後に本能寺で果ててしまう。

   
大月からみた岩殿城   揚城戸跡

職場の山仲間5人で行く。中央線高尾駅で一人待ち合わせをして、大月駅で降りる。岩殿城を目指して歩く。

揚城戸跡は、上に揚げる城戸があった。岩盤を利用した天然の切り通し。

   
 つつじが映える 丸山公園 

天気はあいにくと、小雨が降っていて、ガスの中である。

   
 「ふれあいの館」資料館 ふれあいの館近くからの眺め 

ふれあいの館(資料館)に入る。白旗史郎の写真館も地下にあったので、200円の入場券を払って入る。
見事な富士山の写真が並んでいた。天気がよければ、ここからも富士山が見えるのだが、この日は、ガスっていて、見えず。

   
大岩の門  大月市街 

   
山頂  桂川や中央高速だみえる 

ふれあいの館から山頂までは30分ぐらいで到着。少し雨がやんできて、大月市街の景色は見えてきた。
山頂の高さは、スカイツリーと同じ高さで634mである。

   
 馬場跡  本丸跡

本丸跡に登ると「電波烽火台」(テレビ電波の中継用施設)になっていた。

   
岩場  岩場の間を登る

山頂から少し下ったところに、稚児落としの方の分岐点があって、稚児落としの方に向かった。
鎖場コースを歩く。雨は上がってきたが、下が濡れているので、滑りやすい。滑って転んでいる人もいた。
天気は悪かったが、緑も多く、新緑が鮮やかで気持ちがよい。

、稚児落しには、信茂の側室ともいわれる千鳥姫の悲劇の伝説もある。
伝説によると、千鳥姫は織田家の大軍に包囲された岩殿山城から、信茂の次男「賢一郎」と赤子の
「万生丸」を連れて、護衛の小幡太郎らと共に落ち延びた。その最中、万生丸が泣き出したため、
小幡太郎は千鳥姫から万生丸を取り上げて、岩殿山城の断崖から投げ捨てたと言う。
 この、万世丸を投げ捨てたといわれている断崖が、「稚児落し」。千鳥姫は、
良心の呵責に堪えられず、後を追うように自らもここから身を投じたと伝えられている。

稚児落しの上は、大きな岩になっていて、柵もないので、立ってみると怖い。
ただ、完全にガスの中となり、景色は見えないし、岸壁も見えず。昼食をここで食べる。
稚児落としはしばらく続いていたようで、歩いていくと、また、岩の上に出て、
人が何人かいて、そこにあった標示も稚児落しになっていた。

   
大きな岩場を登っていく。  岩場を降りる 

稚児落しからは、浅利部落にでて、大月駅に戻る。帰りは高尾のフロッピーで汗を流し、高尾駅で打ち上げ。
「あさかわ」食堂に入ろうとしたが、中はいっぱいだったので、南口に戻り、「笑笑」で飲む。