2009年3月21日
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ふれあいの館〜岩殿山山頂〜 七社権現洞窟〜 円通寺跡〜猿橋
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富士山と大月の街並み
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年度末の慌しい中だったが、休みがとれたので、ちょっとでも山へ行こうと思い、
電車で大月まで行き、岩殿山に登った。戦国のその昔、小山田氏の居城があった城跡の地。
1582年、織田軍が甲斐を攻めたとき、武田勝頼は岩殿城に落ち延びようとしたが、
小山田茂信は受け入れを断った。困った勝頼は天目山で自害となる。結局、この後、
小山田茂信も織田信長に処刑されることになる。このように武田氏の滅亡に深く関わった城でもあったようだ。
山頂までは30分ぐらいで歩ける。登る途中、桜の木がたくさん蕾になっていた。
もうすぐで花が開きそうであった。大月の街とともに富士山がよく見え、富士山の左手前に
杓子山、手前右横に高川山、奥右横に三つ峠なども見える
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岩殿城跡入口
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富士山が望める
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岩殿山の岸壁
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ふれあいの館
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ふれあいの館は、頂上までの道のりの途中にある。岩殿山の歴史が分かるビデオや展示室、
プラネタリウムまであります。入館は無料だった。白旗志朗の写真をみたり、大月出身の
落語家・三遊亭小遊三が大月の観光名所を紹介するビデオが上映されていたので、見た。
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ふれあいの館入口
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西側にある山頂
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山頂周辺は西にある頂は城址公園風になっており、ここに山頂標が城址の説明看板と
共に立っていて、周辺には城跡を示す縦看板がいくつかあった。西より高い東の頂上は、
アンテナに占拠。つまり、本丸はなんと「電波烽火台」(テレビ電波の中継用施設)になっていた。
今回、残念だったのは、急遽出かけて、あまり調べないで行ったため、
ハイライトになるスポットは見逃した。ふれあいの館で、ビデオを見て、地図もあまり見ないで、
山頂から猿橋方向に下ればと思って歩いてしまった。七社権現洞窟に寄ったり、
途中で、急な下りを歩いていたら、滑って、腕に擦り傷を作ったりしたがあっという間に車道に
下りていた。そしたら下りてきた地図の看板で気づいた。登った山頂から戻ったところの分岐から
歩く稚児落としの方が見所で、そちらの方を歩けばよかったようである。引き返して登っても
たいしたことはなかったのだが、そのまま猿橋の方に歩いた。先日登った百倉山から扇山の稜線が見えた。
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かたくりの花も咲いていた
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百倉山と扇山が望める
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国道139号に下りて、左前方に見える「岩殿上」バス停裏から道を下った
ところがかつて円通寺の境内。
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七社権現洞窟
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円通寺跡
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木造七社権現立像跡
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辛夷と百倉山
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七社権現とは、伊豆・箱根・日光・白山・熊野・蔵王・山王権現をさすらしい。
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百倉山と扇山
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麓から岩殿山
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