東京に生きた縄文人 

2021年11月6日

   
   

江戸東京博物館で、「東京に生きた縄文人」が開催されていたので、観に行った。

展覧会概要
 1万年以上にわたって続いた縄文時代。この長い時代を生きた縄文人の生≠フ暮らしぶりとは、どのようなものであったのでしょうか?江戸東京博物館では、江戸東京の暮らしや文化をふり返る礎として、その源流とも言うべき縄文時代の人びと、特に東京の縄文人の暮らしに焦点をあてた展覧会を開催します。


   
多摩ニュータウンのビーナス   

会場に入って、すぐに出迎えてくれるのは多摩ニュータウンのビーナスである。

   
 雪ヶ谷貝塚  


   
落合遺跡   

   
忠生遺跡   

   
   

   
   

   
  復顔された縄文人 

   
   

   
   

   
 縄文土器中期 深鉢(多摩ニュータウン) 

   
   

   
多摩ニュータウンから出土する土器  人々の交流を物語る土器 

   
  多摩川流域の石材 

   
縄文石器の石材と産地   

   
  丸木舟 

   
 土坑切り取り標本 貝塚にみる食料の獲得と消費 

   
   一括廃棄遺物

   
  丘陵部での暮らし 

   
   

   
丘陵人(おかびと)の肖像(顔面装飾)   

   
  暮らしの中の道具類 

   
土製耳飾(調布市下布田遺跡)   

   
縄文土偶   

   
   

   
ハート形土器  ハート形土器 

   
   

   
   

   
遮光器「系」土偶  みみずく土偶 

   
 晩期土偶 板状土偶 

長野県茅野市の国宝の土偶「縄文のビーナス」が展示されていたが、
撮影禁止になっていた。じっくり見た。

   
   

   
両国観光案内所  「ハッキヨイ!せきトリくん」 

両国観光案内所で、スマホでQRコードを読み取って、アンケート記入すると
マンホールカードカードをいただけるというので、アンケートを打ち込んだ。
「手がつくと負け」となる力士にとって縁起が良いとされている、
二本足で立つ鳥をモチーフにした日本相撲協会公式キャラクター
「ハッキヨイ!せきトリくん」のデザインマンホール。
国技館付近に設置されていた。

   
江戸東京博物館   常設展

午後は、常設展の方を観に行った。
企画展「ひきつがれる年の記憶ー江戸東京3万年史」が開かれていた。

   
旧石器時代から古墳時代  旧石器時代から古墳時代 

   
   

   
   

   
 東京オリンピック日本代表選手用
公式ブレザー 1964年(昭和39)
 

   
   小金井橋と玉川上水

ブラタモリで、江戸東京博物館を放映していて、玉川上水を
扱っていたので、見て回った。江戸時代前期に開削された
玉川上水を、中流域に位置する小金井橋・地下水路(暗渠)の
起点となる四谷大木戸水番屋・配水される江戸市中の様子、
3つの復元模型を使って解説している。

   
   

上水枡は、砂などを沈澱させたり、(直線しか構成できない水道管同士を繋ぎ)
流路を変えるのに用いられていた。上水枡は、手前と奥とで穴の高さが異なる。

 玉川上水は、江戸の人口増加に対応するために新しく設置された上水で1653年(承応2)から翌年にかけて、玉川庄右衛門・清右衛門によって羽村から虎ノ門までが開削されたとされます。玉川上水の特徴はその測量技術であり、羽村から四谷大木戸までの開渠(かいきょ)部分の距離約43キロメートルに対し、標高差約100メートルでした。これは100メートル流れて20センチメートルほど下るというもので、測量技術の高さがうかがえます。
 今日の東京の上下水道の歴史は、江戸時代初期にさかのぼります。江戸の街づくりにとって、水の確保は重要な課題のひとつでした。赤坂溜池の湧き水を利用したり、神田川の水を引き入れ神田上水を整備しますが、江戸の人口増加に伴い、十分な水が確保できなくなります。
そこで注目されたのが、水量豊富な多摩川です。玉川上水は、多摩川の中流域にあたる羽村を取水口とし、全長43kmの道のりを経由し、四谷大木戸からは、網の目に張り巡らされた地下水路を通って、江戸市中の人々に水を供給しました。着工から竣工まで1年足らずという異例の早さで、1654年(承応3)に完成したと伝えられます。傾斜がほとんどない平坦な地形のなか、長距離にわたって、安定した供給を実現した背景には、当時の高度な開削技術がありました



   
   

   
 7階ホールの窓から  両国駅

7階の映像ライブラリーで、玉川上水やエドワード・S・モースのビデオを見た。
富国強兵・殖産興業のスローガンのもと、近代国家の建設を
めざす明治政府は、欧米の進んだ技術や学術を取り入れるため、
多数の外国人を招いた。大森貝塚の発見者として知られる
エドワード・S・モースは、お雇い外国人と呼ばれた彼らのうちの一人。

   
 くじらびと  石川梵監督

前日に、下高井戸シネマでくじらびとという映画を見た。


監督を囲んで記念撮影

   
ボストン市庁舎  夕食はお好み焼きセット 

11月14日にヒューマントラスト有楽町で「ボストン市庁舎」を見た。
ドキュメンタリー映画である。フレデリックワンズマン監督作品
4時間35分。流石に長い。日ごろの疲れも出て、うとうともしたが、
作品としては訴えるものがあった。内容は対話が中心。
市政は市民のためにあり、忍耐が必要である。
仕事も子どもや職員のためにあり、忍耐が必要である。