2019年11月28日
阿波十郎兵衛屋敷は、悲劇の当人であった板東十郎兵衛の屋敷跡に建てられた。
建物内には、阿波木偶人形の展示や、十郎兵衛の遺品の数々が展示してあり
人形浄瑠璃芝居も上演している。
阿波人形浄瑠璃は、義太夫節の浄瑠璃と太棹の三味線、3人遣いの人形の三者によって
演じられる人形芝居で、徳島が全国に誇る伝統芸能として現在まで受け継がれている。
阿波十郎兵衛屋敷で毎日上演している『傾城阿波の鳴門(けいせいあわのなると)』を観た。
『傾城阿波の鳴門』の主人公、徳島藩臣下の阿波十郎兵衛(あわのじゅうろうべえ)は、
主人を助けるために盗賊に身をやつします。そこへ生き別れていた娘のおつるがあらわれる。
母のお弓は、娘のためを思い、自分が母親であることを隠しておつるを追い返すが、
十郎兵衛は娘と知らずおつるを殺してしまう。この物語は実際に徳島藩の家臣であった
坂東十郎兵衛が不本意な嫌疑で処刑されたことから、その悲劇を元に創作されたそうである。
吉野川の豊かな流れがあってこそ栄えた徳島の街。暴れ川と呼ばれ毎年の
ように氾濫を繰り返した吉野川は、その見返りに四国山地の肥沃な土を運び続けた。
その土は、全国の市場を支配し、莫大な富をもたらした阿波藍を育てた。
徳島は、阿波藍による経済力や、藍の取引を通じた全国各地との交流を背景に
発展を続け、明治23年に徳島市は人口約6万人、全国で11番目の大都市として繁栄した。
吉野川流域では、江戸時代から徳島藩主や藍商人の後ろ盾を得て、
淡路の人形座が、小屋掛けの仮設舞台で頻繁に興行を行った。
やがて吉野川流域から県南の山間地域にも伝わり、そこでは村人たちが、
材料や手間や費用を負担しあって神社の境内に舞台を建て、人形座をつくり、
春秋の祭りに鎮守の神に人形浄瑠璃を奉納した