神楽坂 

2025年10月13日

   
居酒屋 萬月  神楽坂 

ブラタモリで神楽坂をとりあげていたので飯田橋の会合後、、訪れた。
坂と路地に花街の面影を残す、東京・神楽坂である。
居酒屋 萬月は、神楽坂の路地裏にひっそりと佇む居酒屋。

   
 毘沙門天 善國寺 

毘沙門天でお参りをした。文禄4年(1595)に徳川家康が開基となり、日本橋に
創設された後、2度の移転を経て寛政4年(1792)から現在の神楽坂に鎮座する。

   
 おいしんぼ 兵庫横丁 

兵庫(つわものぐら)とは武器庫の意味で、戦国時代の牛込城あるいは
江戸期の本多家の武器庫があったことが名前の由来(諸説あり)
この裏路地の構造は、花街の発展とともに形づくられた。
人目を避けて料亭や芸者のもとを訪れるため、あえて複雑に入り組んだ
路地が新しく造られていった。そこには「隠れること」を前提にした
街のデザインが反映されている。横丁の入り口は、毘沙門天さまの
正面から神楽坂をはさんだ向かい側にある細い路地。
一人がようやく通れるくらいの幅しかないが、奥に進むとやや広くなる。
おいしんぼは兵庫横丁にある古民家を改装した一軒家和食処。
昔懐かしいお座敷で、毎日届く産直の季節野菜や旬魚介、各地特産物を
使って仕込む和食料理を気軽に楽しむことができるカジュアルな和食屋

   
石畳と階段  石畳と階段

兵庫横丁は石畳が多い。横丁内のレトロな雰囲気の旅館「和可菜」は
ホン(本)書き旅館と呼ばれ、野坂昭如氏や山田洋次氏など
多くの著名な作家が滞在し、名作を執筆したことで知られる。

   
 曲がりくねった道  本多横丁

本多横丁の南東にあるかくれんぼ横丁」は
神楽坂下交差点から神楽坂通りを進み「善國寺」に到達する手前を
右折したところにあり、神楽坂通りと平行に延びる軽子坂までを結んでいる。

   
 Bar 「Circo」 路地裏 

「チルコ」は、主にイタリア語で「サーカス」を意味する。また、
スペイン語では「円形競技場」や「圏谷」を意味することもある

文脈によっては、イタリア語で「輪」や「仲間」などを意味する「チルコロ」を指す場合もある。

   
 神楽坂茶寮 石畳 

神楽坂茶寮はかくれんぼ横丁に繋がる通りの一角に佇む隠れ
家的雰囲気のカフェ。かくれんぼ横丁は「お忍びで遊びに来た人でも、
ここに入り込めば人目を忍べる」ことから、その名が付けられたと
いわれている。かつての花街の趣を色濃く残し、石畳に黒塀、古民家と
いった昔ながらの風景が絵になると評判である。

   
地蔵坂  袖摺坂 

地蔵坂:この坂の上に光照寺があり,そこに近江国(滋賀県)三井寺より
移されたと伝えられる子安地蔵があり,それに因んで地蔵坂と呼ばれた。
また藁を売る店があったため,別名「藁坂」とも呼ばれた。
振袖坂:俗に袖摺坂と呼ばれ、両脇が高台と垣根の狭い坂道で、
すれ違う人がお互いの袖を摺り合わしたという

   
 振袖坂の説明 赤城神社の鳥居 

1300年に、群馬県赤城山麓の赤城神社の御分霊をお祀りしたのが
始まりと伝えられる赤城神社。厄除けの神様「磐筒雄命」(いわつつおのみこと)と、
女性の願いを叶える神様「赤城姫命」(あかぎひめのみこと)をお祀りしている。

   
 社殿  蛍雪天神

ガラス張りのモダンなデザインの社殿は、著名建築家、隈研吾氏により2010年により再建されたもの

蛍雪天神 
 江戸中期、学問の神として崇められている菅原道真公を祀り、横寺町に鎮座して北野神社又は朝日天満宮と称されていたが、氏子、信徒なく、明治九年三月当境内に遷座。
その後、戦災により焼失したものを、平成十七年十月、現在横寺町にある、旺文社の御寄付により、全国の受験生への合格祈願の守護神「螢雪天神」として復興したものである(境内掲示より)

名称は旺文社の大学受験生向けの月刊雑誌『螢雪時代』に由来し、受験生の合格を祈願する。


赤城神社隣にマンションが建つ。

帰りは早稲田までぶらぶら歩いて、居酒屋で食べて、飲んで帰路に着く。