偕楽園
2023年2月24日
|
|
ときわ |
ときわ |
梅で有名な水戸の偕楽園に3人で行った。
行きは、新宿から日暮里、取手まで出て、特急「ときわ」に乗る。水戸まで行く。
帰りは水戸からJR常磐線に特急「ひたち」に乗る。「ときわ」と「ひたち」の違いは
途中停車駅が異なる。「ひたち」は、上野から水戸までノンストップである。
帰りは「ひたち」で、東京駅まで出て、中央線で新宿まで乗る。
|
|
水戸駅 |
水戸駅北口 モニュメント |
|
|
|
切り株 |
偕楽園は江戸時代天保13年(1842年)7月、水戸藩第9代藩主
徳川斉昭公により、領民の休養の場所として開園された。
見晴亭がある東門から入り、ボランティアガイドの方がいたので、
案内をお願いした。
徳川斉昭が偕楽園に梅を植えさせたのは、「春先に咲く梅の花で領民たちに希望を与えたい」
「梅は梅干しにして非常食にできる」という様々な思いからだったと言われている。
|
|
|
仙奕台(せんえきだい) 石の碁盤 |
見晴らし広場の南端の突き出た所を仙奕台といい琴石、石の碁盤、将棋盤等が据えられています。
千波湖を眺めながら琴を弾き、碁将棋に興じて慰楽の場としたもので、
三保の松原にある羽衣の松の苗を移し植えたとされた老松がこの地に
ありましたが、残念ながら当時の松は枯れてしまいました。
「奕(えき)」は囲碁を戦わせるの意味で、千波湖を見下ろした台地で囲碁等を楽しんだ所です。
千波湖からの涼風が老松の梢(こずえ)に何かをささやき、水戸八景に選ばれた
この景勝地で風雅を楽しむ 一方、風雅の場所とされたこの仙奕台は、いざという時には
砲台の役目をあわせ持たせたとの説もあります。 つまり、緊急時は
これらの石を砲台として利用できるように考えられていると言うのです。
確かに江戸街道が眼下にあり、敵を迎え撃つには絶好の場所に見えます。
|
|
好文亭 |
|
|
|
|
白難波(しろなにわ) |
|
|
水戸黄門、梅大使と記念撮影 |
|
枝もいろいろな形があり、説明を聞くと面白い。てっけんは、花弁が退化している。
|
|
月影 |
|
偕楽園の梅は約100品種3,000本。いわゆる「早咲き」(1月中旬~2月中旬頃)、
「中咲き」(2月上旬~3月中旬頃)、「遅咲き」(3月上旬~4月上旬頃)と
分けられ、種類によって開花時期が異なる。そのため一斉に咲くというより
その分、長い期間楽しめるようである。
|
|
好文亭表門 |
徳川家の家紋 |
|
|
孟宗竹林(もうそうちくりん)
|
|
白っぽい竹は若いといわれる。
|
|
|
オカメザサ |
|
|
好文亭中門 |
菊の間 |
襖絵は昭和20年(1945)の水戸空襲で消失し、復元の際に昭和を代表する
二人の日本画家、須田珙中(1908年~1964年)と田中青坪(1903年~1994年)が
植物にちなんだ部屋名にあわせて描いている。
|
|
桃の間 |
梅の間 |
|
|
竹の間 |
萩の間 |
|
|
|
好文亭から見た見晴広場 |
偕楽園の庭園や、遠くに千波湖が見える。
|
|
|
楽寿楼 |
好文亭の構造は木造二層三階建てとなっており、三階の楽寿楼からの眺めはとてもよい。
園内の中程に位置する好文亭は、木造2層3階建ての好文亭本体と
木造平屋建ての奥御殿から成り、徳川斉昭公が自ら設計したものといわれている。
好文亭の「好文」というのは、学問を好むという梅の異名
|
|
輪違い |
てっけん |
|
|
てっけん |
|
てっけんは花びらが無い珍しい品種。茶筌に似ているので、別名、茶筌梅(ちゃせん梅)ともいう。
|
|
|
茨城県立図書館 |
|
|
要石歌碑の拓本 |
|
弘道館は水戸藩第9代藩主徳川斉昭公により創設された水戸藩の藩校である。
大政奉還後の慶応4年(明治元年(1868年))、慶喜は水戸へ下り、幼少時代を過ごした
至善堂にこもり、静岡に移るまでの約4ヶ月間、厳しい謹慎生活を送る。
|
|
|
大日本史 |
弘道館という校名は、「弘道館記」の冒頭「弘道とは何ぞ。人、よく道を弘むるなり。」からつけられた
|
|
|
弘道館正庁 |
|
|
「游於藝(げいにあそぶ)」 |
弘道館の梅 |
扁額は、対試場に面した正庁の長押に掲げられている。
「游於藝」は、『論語』述而篇の一節「子曰 志於道 據於徳 依於仁 游於藝」
(子曰く 道に志し 徳に拠り 仁に依り 芸に遊ぶ)により、
「文武にこりかたまらず悠々と芸をきわめる」という意味がある。
「藝」は六芸(りくげい)で、礼(儀礼)、楽(音楽)、射(弓術)、御(馬術)、
書(習字)、数(算数)をさしている。
|
|
弘道館入り口 |
薬医門 |
薬医門は、位置・所有者が何度も変わっており、もとの位置は特定されていない。
1981年(昭和56年)からは県立水戸第一高等学校の敷地内に移築されている。
鉄砲玉の跡