金沢城 

2019年11月3日〜4日


   
 尾上神社のライトアップ ライトアップ 菱櫓(右側) 

金沢城がライトアップされているというので、
ホテルで宿泊手続きをした後、見に行ってきた。

   
河北門   橋爪門続櫓

天正11(1583)年、前田利家が金沢城に入り、その直後から本格的な城づくりが始めらた。
キリシタン大名として知られる高山右近を招き、築城の指導をを仰いだと伝えられている。
西丁口から尾坂口へと大手が変更されたのもこの頃である。

   
橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓   

慶長7(1602)年、落雷により天守が焼失した後、天守は再建されず、
本丸には三階櫓と二の丸には御殿が建てられた。寛永8(1631)年の
火災の後、二の丸の拡大や辰巳用水の通水などにより
城の構造が変化するなかで、武家屋敷も城外へと出された。
宝暦9(1759)年の火災では、城のほとんどを焼失。
その後の再建では、実用性を重んじ、二の丸を中心とした
整備が行われ、本丸の櫓は再建されなかった。
現存する石川門は、この後天明8(1788)年に再建されたもの。

   
KKR金沢   

宿泊したホテルは、KKR金沢。金沢城公園のすぐ裏手にある。この日も、
友達と待ち合わせて、金沢城公園から兼六園に行き、金沢周辺を歩いた。

   
   

   
 河北門  河北門の見学用スロープからの眺め

「河北門」は、金沢城の大手から入り、河北坂を上がったところに
位置する「三の丸の正面」であり、金沢城の実質的な正門

   
 左から橋爪門続櫓・五十間長屋・菱櫓 橋爪門にある橋 

3層3階の菱櫓と橋爪門続櫓を2層2階の五十間長屋でつないでいる。
菱櫓は大手と搦手を見張る物見櫓、橋爪門続櫓は二ノ丸大手の橋爪門枡形を
見張る物見櫓、五十間長屋は武器等の倉庫である。
平成13年に復元された菱櫓・五十間長屋・橋爪門続櫓は、文化5(1808)年の
二の丸火災の後再建され、明治14(1881)年の火災で焼失したもので、
安政頃の景観を再現している。1998年に復元工事が着工され、2001年に完了した。
藩主の住居であった「二の丸御殿」を守るための砦(とりで)になっている。
これらの建物は、戦の際に二ノ丸を守るための施設で、石落しや鉄砲狭間となる格子窓、
白塗漆喰壁や海鼠壁で防火構造になっている外壁がその強固さを示している。
中に入れることになっていたので、入ってみた。五十間という長さは90mである。

   
  木組みの工法 

五十間長屋は、菱櫓と橋爪門続櫓を結ぶ多門櫓(たもんやぐら)。武器等を保管する
倉庫として使用されていたのに加え、非常時には城壁の役目も兼ね備えている。
内部では、木組みの工法をそのまま見学することが可能。日本古来の木造軸組工法と
呼ばれる方法と、柱と柱を繋ぐ横木を組み合わせた耐力壁によって構成されており、
釘やボルトを1本も使っていないにも関わらず耐震性にも優れている。

   
橋爪門続櫓の3階からの眺め  橋爪門続櫓の3階からの眺め 

   
菱櫓、 五十間長屋  出窓

出窓は、石垣をよじ登る敵を防ぐために設けられた。出窓床板を開き、石を落とす。

   
  橋爪門櫓 

   
河北門  石川門の監視用の櫓 

河北門は、かって表門であった。

   
 石川門 兼六園側から石川門をみる。 

兼六園に向かい合って建つ石川門はかつて、江戸時代までは搦手門(からめてもん)と
呼ばれる裏門である。表門である河北門と裏門である石川門がすぐ近くにある。
石川門の形式は重厚な枡形(ますがた)門で、表門、櫓(やぐら)門、
多聞櫓(たもんやぐら)、渡櫓、菱櫓、太鼓塀が組み合わさってできている。
屋根は鉛瓦葺きである。鉛は有事の際にも使用できる。