春日山 

2023年5月5日


前日、愛知の実家に泊まり、名古屋から特急に乗り、長野駅で乗り換えて上越新幹線で上越妙高まで行く。

   
 上越新幹線  

   
 妙高山 上越妙高駅 

   
フルサット  麺屋風花 つけ麺 

フルサットというコンテナで作られた食堂街があって、ラーメンを食べる。
ちょうど混んできた時間帯で、結構待たされる。つけ麺を食べ、おいしかった。
フルサットとは、建築用コンテナを使用して店舗を建築し、その組み合わせによって
商業施設を設計する同社のサービス名、及び設計された商店街のこと。

   
 ラーメン屋入り口 ときめき鉄道 

   
えちごトキめき鉄道姉妹鉄道の表示   埋蔵文化財センター

東横インで、荷物を預け、春日山駅まで出る。そこからは
シャトルバスが出ていて、まずは、埋蔵文化財センターまで乗る。
ゴールデンウィーク期間中は無料のシャトルバスが運行されていた。
春日山城跡周辺の交通混雑を緩和するため、上越市は春日山城跡周辺への
マイカーの乗入れの自粛をお願いしている。あわせて春日山駅、埋蔵文化財センター、
春日山城跡の謙信公銅像前、林泉寺を巡回する無料のシャトルバスを運行していた。

   
春日山模型   

埋蔵文化財センターの館内をざっと見学する。

   
謙信公と春日山城展  縄文土器 

   
  上杉謙信公像 

シャトルバスに乗り、上杉謙信公像まで行く。そこから本丸まで登る。

   
 春日山入り口 春日山神社 

春日山城は山形県米沢市の上杉神社より分霊され、謙信公を祭神
に祀った神社。上杉謙信の居城として知られる山城。
現在も郭や土塁、空堀などの遺構が数多く残っている。

   
   

   
   

謙信没後、上杉景虎との後継者争い(御館の乱)に勝利した
上杉景勝が城主となるが、慶長3年(1598)会津に移封される。
代わって領主となった堀氏は、慶長12年(1607)
直江津港近くに築いた福島城に移り、春日山城は廃城となった。

   
 空堀 直江山城址宅 

   
 直江山城守宅址 直江屋敷 

直江屋敷は、上杉家の重臣 直江家の屋敷があった場所と伝わる。

   
  毘沙門堂 

毘沙門堂(びしゃもんどう)は、謙信が出陣前に戦勝祈願したと伝わる。
現在の毘沙門堂は昭和に入って復元されたもので、毘沙門天の尊像が安置されている。

   
 毘沙門堂の説明  護摩堂址

   
 天守閣址 妙高山が見える。 

   
天守閣址  直江津港方面 

天守閣と本丸址は堀を挟んである。標高189m
本丸では頸城平野や直江津、日本海が一望できる

   
 本丸 井戸丸址 

   
 大井戸 上杉景勝屋敷 

   
  青苧 

春日山頂上から降りる途中、青苧の群生地があり看板がたてられている。

謙信公の財政を支えた「青苧」 
 「古くから『越後上布』の原料として珍重された青苧。上杉謙信公も、青苧商人や港に出入りする船から税を徴収して、米・金銀と共に軍事と財政力を支えていました。ここに植えてあるイラクサ科のカラムシの茎から採れる繊維が青苧です。カラムシは、雨が多く、湿度が高い場所、そして風の弱い土地を好むため、越後(新潟県)は上質な青苧の産地でした。」とある。


   
  三の丸址 

   
「監物堀」   春日山を望む

百名山スタンプは春日山城跡ものがたり館にあるということで、埋蔵文化財センター
から歩く。途中、地震速報が流れ、びっくり。外の広いところを歩いていたので、
揺れはあまり気が付かなかった。

   
 春日山(右)  

   
   

   
 春日山がみえる 春日山城跡ものがたり館 

春日山城史跡広場の堅物堀には、およそ200メートルに
わたって城や紫などのカキツバタが植えられている。
春日山城跡ものがたり館では、上杉謙信公や、当時の春日山城の様子などを
大型画面のビデオで紹介しているほか、川中島合戦図屏風などを展示している。

   
 広場でシャボン玉をとばしていた。  掘立柱建物跡と井戸

   
 掘立柱建物 藤棚 

   
カキツバタ  モニュメント「凛」と「炎」 

ものがたり館はシャトルバスがコースに入っていなかったので春日山駅まで歩く。

   
モニュメント「凛」と「炎」の説明  春日山駅 

   
 東横インで宿泊 部屋飲み 

夜、9時過ぎに再度、地震速報が流れ、ホテルの部屋にいたためか、揺れを感じた。

   
客室絵画
(草木華鳥図会 二十二 菖蒲 撫子 鴛鴦/暁山)
 

東横インの部屋に飾ってあった客室絵画は明治期へと
つながった暁山さんが描いた花鳥図の部分図。
江戸中期に品種改良が進み、見事な大輪の菖蒲(あやめ)と
可憐な花弁の撫子(なでしこ)の花が描かれている。