勝鬨橋から築地 

2021年8月12日

   
勝鬨橋  築地大橋 

大江戸線で、勝どき駅まで行き、勝鬨橋を渡り、築地周辺を歩いて、
築地から大江戸線に乗り、新宿に出る。久しぶりに末廣亭で楽しむ。
勝鬨橋は、隅田川の河口にかかる開閉式の橋 です。もっとも,ここ数十年は開かずのままである。
勝鬨橋は東京港修築計画に基づいて昭和15年に架けられた。月島の交通不便解消のためと、
当時埋め立てが進んでいた晴海や豊洲地区の開発支援のため建設された。
すでに下流側を通れる船の高さに限度があるので、勝鬨橋を可動させる意味はなくなっている。

   
  勝鬨橋 
勝鬨橋 
 勝鬨橋は,隅田川河口近くに架かる道路可動橋である。東京港修築工事の一環として,東京市嘱託員成瀬勝武らの設計に基づき建設された跳開橋で,昭和15年6月に竣工した。
 橋脚及び橋台は鉄筋コンクリート造で,上部構造は,中央二連の跳開部分と,その両側の固定部分で構成される。跳開部分は,中路式の可動桁及び機械装置よりなり,固定部分は,支間長86mの下路式タイドアーチである。
 勝鬨橋は,海運と陸運の共栄を意図した特殊な構造形式で,国内唯一のシカゴ型二葉式跳開橋として,貴重である。また,国内最大の可動支間を有する大規模かつ技術的完成度の高い構造物であり,近代可動橋の一つの技術的到達点を示している。

築地と月島を結ぶ渡船が、日露戦争の戦勝記念で「勝鬨の渡し」と
呼ばれていたこと が橋名の由来となっている。

 
奥に中央大橋  街灯

   
跳開橋の操作室、左奥 聖路加タワー  築地市場、かちどき橋の資料館 

橋の資料館は、勝鬨橋を開くために使用していた変電所を改修して、作られた。
勝鬨橋の1/100の模型や、設計図面、歴史や開橋の仕組みを解説した映像
などがある。当時の変電設備や電気設備がそのまま残されている。
受電した高圧交流でモーターを回し、それに接続された直流発電機で発電をしている。

 
ビルの谷間に東京タワー  勝鬨橋 

 
  変電設備(誘導電動機)

直流モーターは開閉の制御をおこなった

   
変電設備(交流モーター)  勝鬨橋の模型 

   
   当時のままの配電盤

   
かちどきのわたし  築地 場外市場

1905(明治38年)1月18日に日露戦争における旅順陥落祝勝記念として有志により
築地と月島を結ぶ「勝鬨の渡し」が設置された。この渡しに由来して「勝鬨橋」と命名された。
かちどき橋の資料館を見た後、築地が近かったので、歩きながら、大江戸線
「築地市場」駅から新宿に向かった。

恵比寿 

2021年8月13日

   
新・晴れた日 篠山紀信  東京写真美術館ホール 

次の日も休みだったので、恵比寿の東京写真美術館に行き、午前中、
篠山紀信の写真展を見て、午後は、「カウラは忘れない」
「サンマデモクラシー」の2本の映画を見た。

 東京都と公益財団法人東京都歴史文化財団では、Tokyo Tokyo FESTIVAL の一環として「新・晴れた日 篠山紀信」展を開催いたします。 時代の熱量をとらえた写真によって、1960 年代から活躍を続ける篠山紀信。数多くの雑誌の表紙やグ ラビアを手がけ、写真家として時代をつくり出してきました。1974 年に『アサヒグラフ』誌で連載され、 後に写真集にまとめられた『晴れた日』は、篠山紀信の特徴を凝縮した一冊で、「写真は生まれながらに して大衆性を背負っているメディア」と自身で語るように長嶋茂雄や輪島功一、オノ・ヨーコなど、誰も が知るアイコンをちりばめながら、広範に社会の動きを捉え、昭和という時代の尖鋭な批評となってい ます。 「新・晴れた日」と題した本展は、この『晴れた日』の構造を使って、二部構成で 60 年間にわたる 篠山紀信の 116 作品を展覧します。第1部では写真界で注目を集めた 1960 年代の初期から、『晴れた日』 や 1976 年のヴェネチア・ビエンナーレでも出品された『家』ほか、その後の幅広い活躍の原点となる 1970 年代までの主要作品で構成。第 2 部では、1980 年代以降の作品を中心に、バブル経済による変貌 から、2011 年の東日本大震災を経て、2021 年に向かい再構築される東京の姿まで、創造と破壊、欲望と 不安が相即不離な変化の時代をとらえた作品を紹介します。

 タイトル「新・晴れた日」について
 「(写真を)撮っている日はもちろん、風の日もあれば、雨の日も あれば、曇っている日もあるんですけど、でも、写真を撮りに行 く、っていうときに僕の気持ちは、いつもこう、晴れているんで すよ。晴れていて、その対象に向かって、それが人であろうが、 風景であろうが、事件であろうと、何でも、そういうものに向 かっていく気持ちは、エネルギーに満ちて、それに向かって、 よし!撮ってやるぞ!っていう、そういう気持ちを持っていく。 それが、僕にとっては写真家として、『晴れた日』の気持ちなんで すよね。それで、長い 60 年間の写真展も『晴れた日』にしよう と思って、『新・晴れた日』っていうタイトルをつけたわけです」(インタビューより)

   
   

   
 ロベール・ドアノー 《ピカソのパン》