鬼ノ城 

2025年11月26日

   
鬼ノ城 ビジターセンター  鬼ノ城の模型

途中から車一台が通れるくらいの狭いくねくね道を走り、鬼ノ城 ビジターセンターに行く。
そこからは山頂まで600mを歩く。

   
   

大和朝廷によって国の防衛のために築かれたとされる古代山城。鬼ノ城は歴史書には
一切記されておらず、その歴史は解明されずに謎のまま。現在は史跡調査や
整備、復元を行っており、角楼跡や城門跡を訪れることができる。
門の上部には古代の楯が並び、戦国時代や江戸時代の石垣や
櫓門と違ってどこか異国の城のような雰囲気が漂っている。

   
  西門 

7世紀、大和朝廷時代に朝鮮や中国からの侵攻に備え、九州から畿内に
かけて築城された防御施設の一部と考えれる。
西門は間口12mの城内でも最大規模の城門で、発掘調査により
残存状態が良かったため復元された。

   
   

最近の発掘調査成果から、7世紀後半に造られた可能性が高くなっている。
663年に朝鮮の白村江で大敗した大和朝廷が唐・新羅の連合軍が攻めて
くることをおそれ、防御のために九州北部や瀬戸内沿岸に山城が造られたが、
「鬼ノ城」もその一つではないかと考えられている。国家的事業として築かれた城だった。

   
 敷石遺構  

   
  水門跡 

「鬼ノ城」では雨水などが城内に溜まらないよう、排水機能を持つ水門が谷部に6つ設置されている。

   
復元された版築土塁  鬼ノ城_西門(角楼からの眺め) 

角楼は隅に凸型で突出していることから、西門の死角をなくし、横矢で攻撃できるようにしていたと考えられる。
版築土塁は少量の土を盛ってそれを足や道具を使い突き固めて、その上に
また土を少量盛り、また付き固め、それを繰り返して高さを出して行ったもので、とても強固な土塁。

   
  西門と高石垣(展望デッキから) 

   
  角楼(展望デッキ) 

   
展望台からの西門    西門と高石垣 

   
気の情   

鬼城山ビジターセンターは「鬼城山」のことをわかりやすく、
映像やパネル・模型を使って紹介しているガイダンス施設。
山頂に行く前は、電気工事のため、開いていなかったが、
戻ってきたら工事が終わっていたので,開いていた。
見学をさせていただいた。