1213m 2004年3月13日
金太郎伝説で有名な金時山に登りました。
金時山は、箱根の外輪山のうちで最も高い山です。
地蔵堂の方から登り、金時神社の方へ下りました。
金時山 | |
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当日の行程
新松田駅発バス 9:47 関本からタクシーで地蔵堂に10:20 猪鼻砦跡 11:45 頂上12:30 13:10降り始める。 再度頂上に登り、13:40に下り始める 金時神社 14:30 仙石 15:00
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小田急線新松田駅に着いたのが、9時半頃、駅前でバスが待っていて、
地蔵堂行きであった。まずハイキングのフリーパスやどのバスに乗ったらよいか
聞こうと思いバス案内所に行くと誰もいない。待ったりしているうちに、バスが
行ってしまい、係りの人が戻ってくると、今の9:37発のバスに乗ればよかったのですと
いわれる。次は10:40分発である。どうしようかと悩んでいるうちに、私と同じように
乗り遅れた夫婦がいて、関本までバスで行って、そこから地蔵堂まで一緒にタクシーに
乗りましょうと声をかけられて、9:47新松田発、関本行きのバスに乗りました。
地蔵堂の茶屋 | 金太郎生家跡地 |
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猪の毛皮 | 山道を歩き始める。 |
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なんとイノシシの毛皮が何枚も並んで干されていた。
しばらくいくと登山道入り口になり、山道を歩き始めました。
川を渡って、ハイキングコースに至る | 金時山直下の鳥居 |
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梯子段が続く。 | ロープに頼るなの標示 |
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山頂の標識 | 山頂 |
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富士山は残念、ほとんど見えませんでした。雪はまったくありませんでした。
金時山(猪鼻山) | |
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標高1213メートル
"足柄山の山おくでけだもの集めて相撲のけいこハッケヨイヨイノコッタ ハッケヨイヨイノコッタ"童謡金太郎で知られる金時山は、その名のとおり、金太郎が遊んだ山として有名である。長じて源氏の大将源頼光に仕え、名を坂田金時と改めた。金太郎は幼い頃、「菱の腹掛」ひとつで熊や猪の待つこの山へ毎日のように勇んで登ってきた。ある日、金太郎は大石を落としてしまった。この音に、あわておどろき、岩にあたって死んでしまった大猪の鼻を金太郎はねんごろにとむらったのである。金時山を別名猪鼻山という 静岡県小山町 |
強力のコミさん | |
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金時娘(小宮山妙子)さんの父、小宮山正さんは、富士山の強力で、抜群の力をもつと云われ、昭和十六年八月には北アルプスの白馬岳の山頂に、一八八キロ(約五十貫)の風景指示盤を背負い上げることに成功しました。人間業では考えられないこの偉業も、地元のボッカー(強力)の協力もさることながら、富士山の強力の名誉と足柄山の金太郎の再現を自分にいい聞かせ、決死の覚悟でやりとげたわけです。しかしその時のハードな仕事が災いし、昭和二十年二月、四十二才の若さでこの世を去りました。コミさんと親しかった作家新田次郎氏はその後、コミさんをモデルに(強力伝)を発表し、「直木賞」を受賞した事はよく知られています。遺児の妙子さんは現在も金時山頂で父が立てた山小屋を守り、金時娘の愛称で、登山家に親しまれている。
平成六年一月吉日 竹之下 鈴木 |
金時そば おいしかった | 金時娘の茶屋 |
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登頂記念の名札 | |
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金時登山100回を超えると名札ができます。この山は、本当に常連が多かったです。200回目の人に会ったのですが、その方はまだ序の口です。1000回を超える人も多いようです。奥の札には、1000回を超えて登った人の名札がありました。中には2000回の札もありました。話をした200回目の方は、杖に金時山や富士山、鯉や鮎等を見事に彫って、記念にもって来ていました。最近はしょっちゅう登っているため、会う人会う人、顔見知りが多くて、話をされていました。私も恥ずかしながら、1回目を記帳してきました。5回ぐらいは登れるかな。
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山の地図(富士周辺の一部) | |
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頂上から降り始めて、しばらくしてから山の地図が売っていることを教えていただいていたのを思い出し、再度、頂上に戻って登り、買いました。非常に大きい地図で、狭い我が家ではどこに貼ろうか悩んでしまいました。地図の一部の富士山周辺と金時山が写っているところの写真です。帰りは地図を持って、転ばないように気をつけて降りました。 |
金時宿り石 | 金時神社 |
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