清州城 

2025年7月21日


   
   日本庭園

弘治元年(1555年)に織田信長公が那古野城(なごやじょう)から入城、尾張を
統一掌握したころの清須城の基本構造は、守護の館と同じだったと考えられている。
永禄3年(1560年)の桶狭間の戦いに勝利した信長公は、ここ清須から天下統一への
第一歩を踏み出した。本能寺の変で斃(たお)れた信長公の跡目を決める清須会議の後、
城主となった次男、信雄によって改修された清須城

   
   

その後城主は、織田家から豊臣秀次(関白)、福島正則(秀吉子飼の大名)と移り、
関ヶ原の戦いでは、東軍の最前線の城として重要な軍事拠点となる。関ヶ原以後、
城の主は松平忠吉(家康四男)、徳川義直(家康九男)と変遷する。、この頃の清須城下は、
人口6万人を数える賑わいを見せ、朝鮮通信使の記録にも「関東の巨鎮」と称された。
慶長15年(1610年)徳川家康は、清須城廃城と名古屋城築城を命じ、町の建物、
町の機能全てが移転する「清須越」が行われた。これにより尾張の政治・経済・司法の
中心は清須から名古屋へ移り、清須城とともにその城下町は歴史から姿を消し去った。

   
  大手橋 

信長公亡き後、後継者を決めるために行われた「清洲会議」

   
  五条川を超えると清州城 

   
   

   
甲冑の展示  紙芝居 織田信長物語 

織田信長の物語を紙芝居で語ってくれた。

   
 桶狭間の戦い  

信長は城を引っ越しさせた。便利な場所として京に近づいて行った。
商人のマージンをなくして安く物が買えるように楽市楽座を開き、
経済活動を活動を活発にさせるようにする。
最後は本能寺の変で明智光秀に攻められた。

   
戦国武士の暮らし  石落とし 

   
   

   
 「清須会議の参加武将」の「集合パネル」 名古屋方面 

   
   

   
 大手橋  

   
   

刈谷から名古屋 

2025年7月20日

   
法事  栄願寺 

栄願寺で四十九日法要があった。
法事後は実家で食事会をして、夜、刈谷で宿泊した。

   
 エースイン刈谷 刈谷駅前のスーパー 

エースイン刈谷で宿泊した後、朝、刈谷周辺の散歩をした。

   
 刈谷駅 刈谷こどもセンター

   
刈谷セントラルパーク  自動販売機 

   
  科学博物館のプラネタリウム 

科学博物館で、コナンのプラネタリウムを見ようとしたら、場所が違っていて、
名古屋駅の前のイオンモールであることが判明する。そこで駐車場を出ようとしたら
どこかで駐車券を落としてしまったようで、見当たらない。駐車場の管理人に出てもらい
手続きをしてやっと駐車場から出ることができた。

   
 プラネタリウム入り口  

イオンモールにはプラネタリウムが始まっていたので、案内係に誘導されながら入った。
夏の星空紹介の後、「名探偵コナン」のプラネタリウム作品
「名探偵コナン 閃光の宇宙船(ペイロード)」である。
イオンモールで、遅いお昼を食べる。