小机城 

2024年8月13日

前日、愛知の実家に泊まり、三河安城駅からこだまにのり新横浜に出る。
新横浜から小机駅まで乗る。

   
小机城  竹林の中を入っていく。 

小机駅に下りて、横浜市城郷小机地区センターに寄ったのだが、行先だけ
教えていただいて、コインロッカーは駅構内にしかないといわれて、
再度駅に引き返して、駅員に頼んで、駅の中に入り荷物を預ける。
非常に暑くて、重いリュックを背負ったままだと背中の汗がだくだくに
なると思い、山の中を歩く自信がなかった。

小机城は「永享の乱」の頃に関東管領上杉氏によって築城されたとされています。太田道灌によって攻められた記録も残っています。一度は廃城となるものの、北条氏綱の手により修復され、家臣の笠原信為が城主として配置され、小机衆が組織されました。1590年(天正18年)の豊臣秀吉による小田原征伐の際には、無傷のまま落城し、徳川家康の関東入府にともなって二度目の廃城となりました。現在は小机城址市民の森として、本丸、二の丸跡など城の遺構が整備されています。毎年春には小机城址まつりが開催されます。 


   
 空堀  

堀と土塁(どるい)は城の守備・攻撃のための重要な施設で、
人工的に作られるものや地形を利用したものがある水をはらない堀は
空堀と呼ばれ、水をはるために堀勾配のゆるい水堀よりも堅固である。

   
本丸広場への入り口 本丸 

城内には、本丸跡と二の丸跡という看板が立っているが、
城址の調査等の実績が少ないため、本当に本丸または
二の丸だったのかは、まだ断定できないということである。
ただ、本丸より二の丸の方が結構下ったところにある。
一般的には高い位置に本丸があるのではないかと思うので、
このままでよいと思われる。

   
土塁   小机城址につながる看板

櫓台につながる道があったので、登ってみたらベンチがあった。
たくさん汗をかいていて、少し涼しかったので、そこで休憩をした。
櫓台は元々は土塁と連続した場所にあったようだが、土塁の方は
取り去られたと紹介されていた。元々は、井楼跡から二の丸に
通じる散策路の上に土塁が築かれていたようである。


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