小諸城 

2019年8月11日

   
 懐古園入口 徴古館 

懐古園の入口で、散策コースと4か所の各記念館が入館できるセット券を購入する。
徴古館は江戸末期、明治時代の廃藩置県まで小諸藩主であった牧野家や藩士らに
伝わる文化財を中心に甲冑、刀剣などの武具、着衣、古文書などを所蔵。
小諸藩主牧野家の家宝として伝えられてきた「喜内様(徳川家光)・お福様(春日局)の
木像」は日光東照宮の「眠り猫」でも有名な、彫刻職人の左甚五郎によるもの。

   
   小諸義塾記念館


小諸義塾は明治26年(1893年)に、小諸の青年らの熱い要請に応えて、明治女学校の
創立者の一人であった木村熊二によって開塾。自由主義的で、人物養成を目指す
私立学校だった。木村の教え子である島崎藤村をはじめ、東京物理学校(現東京理科大学)
創立者の一人である鮫島晋、明治から大正にかけての水彩画の先駆者である三宅克己や、
丸山晩霞などもここで教鞭をとった。建物は校舎本館を移転復元したもので、当時の資料などが展示

   
  「惜別の歌」歌碑 

   
   三の門

小諸城は平安時代に起源をもち、戦国時代に武田信玄の命により山本勘助らによって
縄張りがされ、原型が整備されたといわれている。城郭が城下町よりも低い場所に位置する
「穴城(あなじろ)」で、これは日本で唯一といわれている。明治4年(1872年)の廃藩置県で
廃城となった小諸城は、その後、小諸藩の元藩士らによって明治政府から
買い戻され、大正15年(1926年)には、明治神宮の森や日比谷公園も設計した
本多静六により、近代的な公園に生まれ変わった。
小諸城址「懐古園」は、小諸駅構内からも眺めることのできる「三の門」を
入口として、駅から西側に千曲川の河畔に向かって広がっている。

   
 木村熊二のレリーフ  二の門跡

   
二ノ丸跡  二ノ丸 

第二次上田合戦の際、徳川秀忠は真田父子の策により足止めされ、この二の丸に逗留していたという。

   
  黒門橋 

   
掘   欅

   
 島崎藤村像 水月橋 

島崎藤村記念館を見た後、小山敬三美術館に向かう

   
 堀 渥美清こもろ寅さん記念館 

渥美清こもろ寅さん記念館は、この日は閉館をしていた。

   
 眼下に千曲川 木立の間の千曲川(眺望百選) 

小泉敬三記念館は、眼下に千曲川の清流を見下ろす高台に建っている。
浅間山から千曲川に至る、小諸の地勢を存分に活用した天然の要塞となっている。

   
三角点   三角点

   
小山敬三碑  小泉敬三記念館 

小泉敬三記念館は、懐古園内の水月橋をわたった出入り口から近くにある。
小山敬三記念館内には、画伯が中学時代に描いた「盛夏樹林」、「浅間山黎明」に
代表される浅間山シリーズ、「初夏の白鷺城」を含む城シリーズ、「ブルー・ド・ブルガリ」
などの肖像画、その他、水彩画、デッサン画、風景画などの作品が約200点が所蔵されている。

   
   

茅ケ崎市より移築した住居兼アトリエが記念館として隣接している。
今回、アトリエも公開されているので見ることができた

 
   

   
   

   
 アトリエ  

   
   

   
 浅間山がうっすらと奥に見える。 藤村詩碑 

「千曲川旅情の歌」の詩碑。誌面は藤村自筆。

   
 水の手展望台 水の手不明御門跡(みずのてあかずのごもんあと) 

小諸城は千曲川の断崖の上に築かれ、この千曲川を眼下に見下ろす眺めのよいのが、水の手展望台。
水の手展望台の左下手にあった水の手門は、小諸城の裏門。遠見番所もあった。
城内まで敵が攻め込んで来たとき、最後に、この門を出て眼下の千曲川に逃れることができたという。
このことから「水の手門」と呼ばれた。城内に敵が攻め込んでくることのないように
祈願して「不開(あかず)の門」とも呼ばれた。

   
「水の手展望台」から見た千曲川  千曲川 

小諸城は、曲輪が直線的に並ぶ連郭式城郭で、背後はこの千曲川の断崖で守られる後ろ堅固の城である。

   
水月橋   富士見台

富士見台は、遠見番所があった場所である。

   
 天守台の石垣  天守台跡

   
天守閣跡   天満宮

   
 小諸領境界石標  懐古神社

小諸城は明治4年(1871年)の廃藩置県で廃城となり、明治政府が民間に
払い下げることになった。小諸城が荒廃していく様を憂いた小諸藩の元藩士らが
資金を集め、小諸城三之門より城内を買い取った。そして、本丸跡に祀ったのが
懐古神社。紅葉ヶ丘に城の鎮守神として祀られていた天満宮(菅原道真公・天神様)と
火魂社(火之加具土命・荒神様)、及び、歴代の小諸藩主の霊が合祀されている。

   
大手門   大手門

小諸城の正門として、仙石秀久によって創建。創建は慶長期から元和期(1596年〜1623年)といわれている。
明治期には、民間に払い下げられ、料亭や小諸義塾の仮校舎として使用されていた時期もあったが、
平成に入って小諸市に寄贈された。その後、約5年をかけ平成の大改修、復元修理を経て、今日に至る。
2階の部屋に入ることができて、資料館になっていた。ガイドさんがいて、説明をしていただけた。

   
小諸城の城郭と門
   

   
浅間山を望む   浅間山を望む

   
 城下町 本町町屋館 

 
 小諸駅