秋の皇居東御苑 

2018年11月25日


   
東京駅  東京駅 


新宿で、午前十時の映画祭で「裸の島」を見て、午後3時から、上野でフェルメール展を
見ることにしていたので、その間に時間があいた。ちょうど紅葉の時期で、
天気も良いということで、皇居東御苑に行ってきた。新宿駅から中央線で、東京駅に向かった。

   
 和田倉橋  

和田倉橋を渡って和田倉休憩所で、百名城のスタンプを押す。

   
黄葉  黄葉 

   
御幸通り   皇居前広場

行幸通りといえば東京駅から皇居へ向かって両サイドに植栽されているイチョウ並木が有名。見ごろを迎えていた。

   
 坂下門 松の木 

江戸時代には、門前の橋を渡り、枡形門を抜けて、左の坂を登ったところに西の丸御殿(現在は宮殿)があった。
西の丸の坂下にあったことから坂下門と言われている。幕末、1862 年(文久2 年)老中安藤正信が
6 人の浪士に襲撃された「坂下門外の変」はこの門前で起こった。明治になり、橋や高麗門は撤去され、
奥にあった渡櫓門の向きを90 度変え、現在の場所に移築されている。
皇居前広場には、数千本のクロマツが、東京湾に浮かぶ小島に見立てた島々に植えられている。

   
 桔梗門  桜田巽櫓

皇居前に広がる松の緑、その北西端にある桔梗門は、枡形城郭門と白壁の美しさを、
お濠の水面に映している。正式には、外桜田門に対し内桜田門と呼ばれるが、太田道灌時代、
大手正門であったころから、瓦に施された家紋である「桔梗」にちなんで、桔梗門と呼ばれている。
東京駅から行幸通りを抜けてまず目に飛び込んでくるのが桜田巽櫓で、本丸の東南(辰巳)の
方角にあることが由来。「石落し」(石垣よりはみ出した出窓部)や鉄砲、矢用の「狭間」を
戦略的目的で備えているのが櫓の特徴である。

   
 富士見櫓 大手門 

富士見櫓は、どこから見ても美しいその姿から「八方正面の櫓」と呼ばれ、火事で焼失し
再建されることがなかった「天守閣」に代わって、江戸城のシンボル的な役目を果たしてきている。
江戸時代、江戸城正門として本丸大手門と呼ばれ、高麗門前には大橋が架かっていた。江戸幕府は、
この一帯の左右13 町に渡る石垣や枡形門の築城を、東北の勇、伊達政宗に命じたと伝えられる。

   
   

   
 富士見多聞 富士見多聞からの眺め 


多聞とは,城郭の石垣上に建てられた長屋で,城壁よりも強固な防御施設だった。江戸時代の
江戸城本丸には,このような多聞が,各所に築かれていたが,現存するのは,この富士見多聞だけである。

   
 天守台  

   
天守台からの眺め   石垣

   
   諏訪の茶屋

   
 二の丸庭園  

   
   

   
 フェルメール展  

上野の森美術館で、オランダ絵画黄金時代の巨匠、ヨハネス・フェルメールの展覧会が
開かれていたので、見に行ってきた。本展では、寡作でも知られ、現存作はわずか35点とも言われる
フェルメールの作品のうち9点が東京に来日。その中には《ワイングラス》《赤い帽子の娘》等
日本初公開作品も含まれる。加えて同時代の画家、ハブリエル・メツーやピーテル・デ・ホーホ、
ヤン・ステーンらの傑作約40点を展示。17世紀オランダ絵画の広がりと独創性を紹介する。
本展は大変な混雑が予想されるため、美術展では適用の少ない「日時指定入場制」となる。
15時からの指定時間のチケットを購入した。また、来場者全員に音声ガイドが無料で提供される。

   
スカイツリー  行列が止まない。 

フェルメール展は人気が高いので、「日時指定入場制」をとっていたが、行列ができていて、並んだ。
美術館前の行列で並んでいたら、スカイツリーが見えた。